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君は天然色 (大瀧詠一)1981年 [1980年代の曲]

 一度だけ海外に長期滞在したことがある。

23歳の時に、アメリカの工場へ一時異動となった。
これは前任者がある事件を起こし退職され
何故だか若すぎるのに私が代わりに短期間だけ行く事になった。

総務人事部?から90日以内ならビザが不要とか言われ(未だに本当かわからない)出発の
1週間ほど前に言われた。

当時候補者が他にも居たはずだったが
現地の工場長が入社時私をかわいがってくれていた人で
経験させてくれた模様。

 現地では日本にいた時とそれほど変わらずの仕事で楽だった。
(行かなくても良かったかも?)と思ったこともあった。

ただ苦痛なのはアメリカ人と接することで、
会話ができない事からスポーツで接しようとした。

当時バスケットボールチームを現地で作っており
参加したかったがあまりにもレベルが違う、

そして次に野球、一応これならできるかと思ったら誰もやっていない。
昼休憩時間にキャッチボールはやってるが1対1で終わったあと、
会話ができない私はニコニコ愛想笑いだけで続かない。

子供たちではサッカーがすごく人気だったが大人はやってなかった。

 そこで寮仲間にやらされていたテニスとなった。
 日本でも超へた、でどうしようもないのにどうしたもんかと考えていたら
いわゆる、ジャッジ、はできることになり休日は5時間ほど、
炎天下でジャッジの役目。

これが受けた。選手の家によばれたりし始めたのはもう2カ月くらい経っていた。
 
当初よく聞いていたのは大瀧詠一
A LONG VACATIONを録音したテープだけ持って行った。

現地の歌を録音しようと思って未使用のテープを持って行ったが
結局2本しか録音しなかった。

日本から持って行ったおしゃれなテレコU4。
素晴らしいラジカセだった。赤色のWカセット。いまのCDなどよりよっぽどみんなの前でも使用できるし使用したら盛り上がる。

唯一の現地の友だちG君は君は天然色がお気に入りだった。
https://www.youtube.com/watch?v=dH9yLGoIxBw
G君は日本語を少ししゃべることが出来た。

君は天然色を聴けば元気が出た。
当時アメリカでも良い曲が多くFMラジオを聴くのは楽しかった。

ここ何日か大瀧詠一のテレビ番組があったり
今年の高校野球で彼の出身高校が甲子園に出場したりで話題。
大瀧詠一は私にとっては忘れられないシンガー。
昨日テレビCMでカナリア諸島にてが流れた。
 大瀧詠一の歌は途切れることはなさそう。

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北風の中 (松山千春)1980年  [1980年代の曲]

 かなり、マイナーかもしれないが意外とこの曲について好きな人も多いかもしれない。

松山千春のLP、『木枯しに抱かれて』の一曲目に入っていたこの北風の中
松山千春が25歳の時のLPで今思うといい曲を書いたなあ・・・と驚く。

 松山千春のLPはデビューから数枚持っているが
この『木枯しに抱かれて』には大好きな曲が多かった。

この北風の中についてはどうしても同じ会社だった先輩を想い出す。
 以前にも書いたがhttp://utaomoide.blog.so-net.ne.jp/2014-10-07、とにかく恰好良く、
背が高く甘いマスクでテニスが上手だったこの先輩との想い出。

関西の先輩の想い出話ではいろいろ面白かった事とか
その先輩のドジ話を連想するがこの先輩については、すきがなかった。


土、日でテニスサークルで合宿を行った。
我々男子後輩たちにとっては彼女探しの絶好のチャンス。

当日、テニスの練習が終わり夜はバーベキューとなった。
圧倒的に女子が多く30人くらいいたが男子は10人位か、

しかし私を含め男子8人がかたまって飲んで食べて、
ちっとも女子との接点がなかった。

 バーベキューでゲームが始まった。(これは割愛して・・・、)
わざわざこの地に先輩がギターを持ってきた。

そして2曲歌った。一曲目が北風の中だった。

以前からこの先輩は松山千春が好きで
テニスサークルにおいても『当時の』松山千春カット、をしていて
(さらっとした長髪)サーファーの様なイメージ、女子達は
こぞって松山千春の曲は知っていたので感動のバーベキューでの余興となった。

歌を聴いていた残りの男子8人も肉類がさっさと無くなり
酒類の飲み過ぎで女子と一緒に違う意味でうっとりしてしまった。眠くなったと言うか。。。

北風の中の動画を探したが見つからなかったが
CDを購入したので時々聴いている。
テニスは下手過ぎたが元気だったあの頃が懐かしい。

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君の瞳に恋してる、CAN'T TAKE MY EYES OFF YOU (ボーイズ・タウン・ギャング)1982年 [1980年代の曲]

 君の瞳に恋してるは、かつてディスコが全盛期の頃、
誰もが一度は耳にした曲の一つかもしれない。
それほどあちこちのディスコでかかっていた。

 若かった頃の映像は無いものの,今もし君の瞳に恋してるの一番盛り上がるところを
見たら恥ずかしいくらい踊りまくっていた。
ボーイズ・タウン・ギャングがカバーしたものしか知らないが
今もなお多くのアーティスト、が歌っているらしい。

https://www.youtube.com/watch?v=Cc1QzIWWIrc

1月10日、横浜で当時働いていた時に
特に仲の良かった7人のうちのひとりが何と54歳にて初婚、
という事で結婚式に行ってきた。

その時の7人と20年ぶりかに会った。

その頃の想い出の話になると、
ディスコ、先輩につき合わされたテニス、とかの面白い話ばかりだった。

ディスコミュージックをYoutubeで聞けるからいい時代だ、と言う話に、
パソコンが全く使えないのが4人もいたのには驚いた。

7人中3人しかパソコンを使わない。
私はスマホで君の瞳に恋してるを見せてやるとそうは驚きはしなかったが、
体が動くね!と言う話になった。

7人中3人が孫がいる。
そして7人全てが神奈川県外の出身だったが
私一人、郷里に戻った以外は神奈川県内に住んでいた。

またその会社に唯一残った一人は副工場長になっており
結局こいつが一番収入が多いことが判明。

当時は最も、踊りがへた、テニスは誘ってもらえないほどへた、
もてない、いけてない奴、だったが
今は一番リッチ。子供も2人とも国公立大学に進学と見事だった。

話は尽きなかったが結婚した友達は
(奥さんの連れ子)いきなり2人の中、高校生の子持ちとなった。
奥さんは15歳も下。
ディスコの話にはつまならなそうだった。39歳、時代は違うみたいだった。
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 愛だけでは (清須邦義) 1981年 [1980年代の曲]

松山千春に没頭していた頃、松山千春の編曲に清須邦義の名前が出て来た。
この人の曲が知りたいと思っていたら
友達からラジオの深夜放送に出てる、という情報が入った。

 それと同じ頃に松山千春の番組で愛だけでは、がかかった。 
初めて聴いたのに強烈にこの歌は良い!と思った。

即、シングルレコードを購入、いまも持っている(はず)。清須邦義の歌でテープに録音したのはこの愛だけではだけだと思う。

『今、聴いてみたい! 』
このシングルレコードを探そうとするより動画サイトを探したほうが確実、
と思い探すとラッキーにも有った。

https://www.youtube.com/watch?v=KJnHxIbT7-E

今聴くとこの曲とあの頃が懐かしいと言う結びつくものが
あまりないのだが(例えば恋愛、失恋とか)
何かのテレビドラマで使ってもらえないかと違う方向に考えてしまう。
今の若い人にも受け入れられる曲と思う。

もっと多くの人に知ってもらいたいと思う一曲。
それほど味がある。
メロディがせつなく、いとおしく、という雰囲気を持っていて
歌詞、清須邦義の声がマッチしている。

当時の清須邦義の歌は数曲知っているが
愛だけでは一番好きな曲で何度も聴いた。
最近はどうされているのか、調べてみたい。

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私はピアノ (高田みづえ)1980年 [1980年代の曲]

たまたま、仕事運転中にラジオから『私はピアノ』が久しぶりに流れた。
サザンの桑田 佳祐が作曲した中で
提供した中でもトップクラスに好きな曲。
最初は原 由子が歌ってて高田みづえがカバーした形で大ヒット。

この曲はいま、もしリリースされてもヒットすると思う。

私は硝子坂でデビューした頃の高田みづえには
それほど興味がなかった。

第一印象が宮崎県出身の近所の女性に似ていた。

いつしか高田みづえが鹿児島県出身と知り、
当時はなるほど、と訳がわからない妙な納得をしていた。

この私はピアノは以前にも書いた当時のカラオケのパブ?(入場した客の前で歌う)で、
ある女子大生が完璧に歌った。

http://utaomoide.blog.so-net.ne.jp/2014-09-26   
https://www.youtube.com/watch?v=FKYcmUaKFr4   
    
あの場所でその女子大生は地味で背が小さく
最初は『あっ、歌い始めたな・・』の印象。

歌い始めてすぐに雑談していた我々の席の雰囲気を一変させた。
それは高田みづえそっくりに地味っぽく歌い
そしてこの歌の魅力に我々は酔うことが
出来たと言っても過言ではなかった。

その後、我々友だちの女子二人が『酒の勢い』で
対抗して硝子坂と言う高田みづえのヒット曲を二人で歌い、
歌詞がばらばらであったり、
一人がリズムを明確に覚えていなかったため見事にこけてしまった。

 車で聴いた私はピアノは聴きやすいし、歌いやすいし覚えやすい。
どの時代にでも好かれそうな気がする。

この様なカラオケパブ、現在は皆無で個室制になり仲間の歌声しか
聴けなくなった。それでホッとする今日この頃。

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ライドオンタイム RIDE ON TIME (山下達郎)1980年 [1980年代の曲]

 当時、ライドオンタイムは一度聞いただけで好きになった。
1980年8月に友達と一泊だけで、
彼女探しと言う名目で石川県金沢へ旅行した。

その時、旅行道中、電車の中でその友達が持参したラジカセの
FMラジオから流れていた曲でもある。当時、我々は山下達郎を知らなかった。

車内クーラーも効いていない『どんこう』の旅でガラガラの車内、
イヤホンで聴くのではなく音を出して聴いていた。

今でも覚えているのは暑い季節、
窓を開けて独特のディーゼル車の臭いをかぎながらの旅行だった。

最初、RIDE ON TIMEは海外の作曲で山下達郎と言う歌手が歌っているのかと思った。
その旅行の同行の友達は、根拠は忘れたが
ライドオンタイムは多分日本人の歌ではない、』と言っていた。
私もそうなんだ、と思っていた。

1980年当時、時代は好景気だと若い我々でも感じていた気がする。
その中で歌もどんどんテンポの良い我々が好きそうな曲が増えてきた。

ちょうどその旅行中に松田聖子青い珊瑚礁
についてのリクエストがあった。
変な話だがこの二曲だけがこの旅行の想い出であった。
痛烈に想い出として残っている。

結局、この旅行はその友達が計画を組んでくれそれにのっかかって行ったが、
行き帰りが『どんこう』で宿泊先が民宿で、
そこでの料理はおいしかったが宿泊者が『お母さん』の集まり、ばかり。

おまけに恒例の民宿内に有った卓球遊びではお母さんたちと
一応盛り上がったかに見えた。

私はその友達に何度も外へ彼女を探しに行こうと言ったが、
友達は弱いくせにビールも大目に飲んで
『お母さんたち』と卓球で盛り上がり疲れ切って就寝。 

兼六園、お箸の土産物売り場でもおじさんおばさんばかりで彼女探し、にはほど遠かった。
今でもRIDE ON TIMEと青い珊瑚礁を聞けばその当時を想い出す。その当時と言うか
『どんこう』と民宿の卓球を想い出す。

この2曲は同時期にかなり好かれたし今でも車の中で聴いている大好きな曲。
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 『ラ・ブーム』主題歌 Richard Sanderson - Reality 「愛のファンタジー」(1980) [1980年代の曲]

1982年の4月頃だったと思う。

 当時の若い女の子、特に中高生にロマンチックな青春映画『ラ・ブーム』と言うフランスの映画が大ヒットとなった。

その頃、職場でも『ラ・ブーム』の映画について『見に行った、まだ行っていない』と言う話が囁かれていた。 

この映画は当時世界的にヒットしたらしいが『ラ・ブーム』の主題歌もかなりヒットした。

ラジオではほぼ毎日一回は聴いた。
私の場合、映画はその後テレビで見ることになるが
その当時は『ラ・ブーム』の主題歌』は確かに良い曲だなあ・・・と思っていたし、
主演のソフィーマルソーはかわいいなあ、と人気は上昇、
そんな雰囲気の中で面白いことが起きた。

 私は神奈川県の独身寮に住んでいた。
寮の一人(A君)が高校生と付き合っていた。
その子は男子独身寮でも話題のかなりかわいい子だった。
テニス部で顔は真っ黒だったが目がくりっとしていて
健康的でプロポーション抜群、で我々に会っても愛想も良かた。

 A君はデートのたびに一緒に食べると言う彼女手製の弁当の話をよくしていた。
彼女が日曜日でも一日中、テニスの練習(試合)が有るという日は
たいてい、我々の草野球やかっこいい先輩が指導するテニスサークルへ行っていた(http://utaomoide.blog.so-net.ne.jp/2014-10-07)。

 ある日、朝食の時間帯、食堂へ行ってもA君は部屋から出てこなかった。
それで誰かが心配になり、部屋へ行くと何と、
英語の辞書片手に勉強をしていた、様に見えた。

それは、『ラ・ブーム』の主題歌を訳していたのだった。
そのことは休日なのに暇にしていた数人の仲間で話題となった。
まあ、彼女と『ラ・ブーム』の映画を見に行って彼女から訳してほしいと
言われたと言うことがすぐに判明した。

その日は英語、と聞いただけで逃げるメンバーばかり。

A君は何とかしてくれと、我々にも打ち明けた。
4人くらいだったか解決できなかった。
今だったらパソコンで翻訳したり多分訳詩、も手に入るだろうが
当時はもちろん英語の辞書しか頼れなかった。

そこで先ほどのかっこいい先輩に頼んだ。
つまりその先輩はあちこちのテニスを指導している女子大生と『つながり』(意味深)、
が有り英語が堪能な女子大生に訳してもらえる事となった。

 その後、彼女に訳詩を手渡したA君のおのろけ話を聞き、
我々『もてないくん』らは彼の幸せをその場では喜んであげた。

動画サイトを見た。
ソフィーマルソー、今ではネットで画像も動画も見ることができる時代、
振り返ってみても20歳位までの彼女はかわいくて、
そりゃ、人気があったなあ、と思った。
リチャード・サンダーソンの甘い歌声も懐かしい。
仮に今の時代にリリースされても売れるだろう。でもこんな歌が最近聞かれなくなった気がする。

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真冬の恋人たち (松田聖子)1982年 [1980年代の曲]

真冬の恋人たち (松田聖子)

年末の落ち着いた頃、いつものカラオケ仲間と忘年会兼カラオケ大会(歌うだけ、賞なんて無い)を行った。

いつもの50歳代から60歳代に加え
その者たちの娘たちも参加。

娘たち5人は悲しいかなまだ独身生活を謳歌している。
しかし息子たちは誰一人参加してくれなかったので、
ある面華やかなカラオケ大会だった。

その娘たちはみなさん29歳以上で、
時代が違うもののオールディーズ、に合わせてくれた。

59歳の友人は、我々の思うところ、『いまだに熱狂的な』松田聖子ファン。
と言っても松田聖子が若い頃(25歳くらいまでの曲か?)のファン。

今もまだその頃の動画をパソコンで見ては楽しんでいるらしい。

カラオケではさすがに歌わないが今回、その娘たちに歌ってくれと
リクエストしたが残念ながら歌ったのは
あなたに逢いたくて』でその友人の期待する若い頃の歌、ではなかった。

その後、1部屋が空き娘たちは出ていった。

我々は持ち込んだ軽食の休憩タイムとなった。
その時にみんなで松田聖子の歌で一番かわいい歌はどれか?
という話題になった。

もちろん一番好きな歌は?とか夏の歌は?とかいろいろあったが
何と7人中3人もが真冬の恋人たち、という歌が出た。

これはうる覚えではあったがかなりマイナーな曲。
数日後想い出してカセットを取り出し聞いてみると、
まあ、なるほど、とメルヘンチックな曲だった。

当時若かった私には聞き流していた一曲だったがこうして30年も前の『真冬の恋人たち』に
未だにこれが良い、と言えるその友人には驚いた。

でも実際にこんなにかっこいいやつは居たし
ありとあらゆる所で声をかけまくる男が多かった時代でもあった。

更に動画サイトで見てみたが
私の見たかった友人の言う松田聖子が20才くらいに歌った動画は見つからず
カバーで男性が歌っていたりで、どうもパッとしない一番かわいい歌となっている。



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リトルプリンセス,くちびるNetwork(岡田 有希子) [1980年代の曲]

リトルプリンセス,くちびるNetwork

 奇しくもこのリトルプリンセスとくちびるNetwork
今では会わなくなったある友達を想い出す。

先日、カセットテープの中に『オーストラリア』と記入されてるテープを見つけた。

当時その友達(仮にA君とすると)は、海外で仕事をしたいと言っていた。

それでA君は英会話スクールに通いながらアルバイトをしていた。
私から見ればアルバイト代、すべてをその英会話スクール代に
消えていっていたのを心配して、有難迷惑かもしれないが
そんな塾代の高いスクールをやめて
別のもっと安い費用で行けるスクールに変えたらどうか、
と勧めていた。

また、A君はいろんなLPを持っていて当時、
カセットテープに録音するがためよく借りに行った。

言い方は悪いが欲しい歌を録音するための情報源として
私には好都合な友だちだった。

A君はあまり友だちがいないので行けば深夜まで話をした。

そのA君が岡田 有希子の熱狂的なファンで
彼の一人住まいの部屋へ行くといつも岡田 有希子の歌を聞かされた。

確かにリトルプリンセスは私も好きだった。
短い曲だったがまあ、まとまっていてかわいい子が歌ってるな
、と言うイメージだった。
 
そして遂にA君はその曲の出た年あたりの冬に
長期にわたってオーストラリアへ行った。

それから1年後位に帰国。
私はお土産欲しさに、伊丹空港へ迎えに行った。

当時はエアーメールが物事を伝える手段だった。
もちろん国際電話もあったが費用が掛かりすぎた。

そこで私はカセットテープ表裏46分で『オーストラリア』と言う
岡田 有希子ベストなるものを作成して
A君に彼の実家へ送る道中に聞かせてあげた。

その時真っ先にくちびるNetworkを聞かせてくれ!とリクエストされ、
カセットテープの一曲目に録音していき車の中で何回も聞かされた。

そして車の中ではオーストラリアでの武勇伝を聞かされた。

それから2,3か月後、A君は次にアメリカへ行った。
当時、現在とは異なりネットなどで様々なニュースを入れることができない時代、
訃報をどこで聴いたかわからないが
それ以来長い年月、A君とは会っていない。どうしているんだろう。 

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スローモーション(中森明菜)、ためらい(増田けい子)1982年 [1980年代の曲]

スローモーション(中森明菜)、ためらい(増田けい子)

 夏に発表された。私もそうだったが、その頃オートバイが
唯一の楽しみみたいな毎日から自動車が趣味、へ
変わっていく友人が増えてきた。

あるかなり暑い夏の夜に私とある友人は自動車の改造を行っていた。
改造と言っても法律に違反しているわけでもなく
いわゆるドレスアップをしていた。

車内にシャンデリアを付けたり、
スピーカーをもっと迫力ある音が出るように
純正のスピーカーを取り外しオートバックスで
購入したスピーカーを我々の技術で取り換え作業をしていた。

そして、取り付けは終了し
男二人で深夜のドライブ、

最終的に名神高速の彦根まで行き、
高速料金の高さに驚き、
帰りは下道となった。

その車中でスローモーション、ためらいを聴いたのが想い出に残っている。

これは私が持っているカセットテープに収録していた物で
その友人はどちらかというと 『洋楽ロック』ばかりを好んでいた。

しかし本当かどうかわからないがその友人は
このスローモーション、ためらいは初めて聴いたと言ってかなり気に入った。

帰路、この二曲は何度か聴かされることになった。

その車はケンメリと言って当時いろんな『好都合』があって
好む友人が多かった。

私も同様で中古車でかなりのスピードを出すことができる車を
手に入れることに専念し
今では考えられない、いろんな部分にお金をかけてしまった。

 実はこの帰路、途中栗東付近で、
暴走族、というか30代くらいの連中と遭遇した。

運転する友人は速やかに横に停車し、『どうぞお先に』という形をとった。

その後、警察のパトカーが追いかけて行った。

今では見られなくなった光景。

そしてそこまで車にお金をかける若者が居なくなった現在、
時代は変わってきたなあとつくづく思う。

その車に命を懸けていたようなこの友人とは
時々接骨院で会うが、
工場で在庫管理部門らしくリフトを乗って
ひっそりと仕事していて楽しみは、昼の弁当、と言っていた。

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