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夢をあきらめないで(岡村孝子)1987年 [1980年代の曲]

 夢をあきらめないで(岡村孝子)

 いつの時代に聞いても通用する、愛される歌だと思う。

どんな場面、誰が聴いても色あせないというか
聞き飽きないという気がする歌。

おそらくこれからの10年後に聴いても良い歌だなあ、と思うだろう。

あみんでデビューした彼女だが私はこのソロになってからの
この夢をあきらめないでに想い出がある。

確か、当初は失恋の歌とかだったそうだが(記憶間違いかも)明らかにそうではなくて
人生とか、スポーツとか何かを目指していく将来の通過点で
夢をあきらめないでが励みになっていくという、原動力みたいな歌だと思う。

最初にこの歌の効き目が抜群と思ったのは、
リリースされたその頃の友人の結婚式の二次会で誰かが歌った。

その新郎はアメリカのテキサス州だったかと思うが
新婦と共に転勤することが決まっておりその地へ行っても頑張れ!と
言うような感じだった。

その歌っている友人も上手で聴いている女子も何人かは泣いていた。

私は会社の海外転勤命令でその新郎新婦の夢ではないだろ?と冷ややかに
思っていたが歌い終わった後は拍手喝采だった。

夢をあきらめないでがリリースされた1987年ではなく
調べてみれば1995年と随分あとに、
野茂投手がメジャーリーグに挑戦。

その出発前に野茂投手についてテレビで夢をあきらめないでをBGMとしてエールを送った番組があった。
その時にメジャーリーグなんてさっぱり知らなかったがつくづくこの歌はいいな、と思った。

 その後、震災時にも夢をあきらめないでがかかったりして長きにわたる名曲となったと思う。
この先どんな曲を作っていくのかと期待したが私はこの曲を最後に岡村孝子の歌は知らない。

ふと、自分がどこかの会場か部屋で前に1人でポツンと立たされ
全員で夢をあきらめないでを合唱してもらったと仮定したら・・・・

自分の夢って何だろう?と思い、パニクッてしまうだろう。

この夢をあきらめないでにはつくづく想い出と言うより意外なことに気付かされた。

自分の夢は?と聞かれると医者ににかかることのない人生とか
人様に迷惑をかけない人生とか
既に疲れていて、夢を追いかける勢いがなくなっていることを
気づかせる歌だった。
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夢でもいいから(内藤やす子)、鏡の中の女(MIE)、1985年? [1980年代の曲]

 夢でもいいから(内藤やす子)

 この2曲は押し入れから出てきたカセットテープに続いて入っている。
そのほかはテンポの良い当時はニューミュージックとか言ったか??
この鏡の中の女、夢でもいいからの様なバラード風昭和の歌謡曲ではない。
 運転しながら何度も何度も聴いた記憶がある。

当時、接待交際費として出費できる大阪のあるスナックにいわゆる常連客として行っていた。
殆どが運転手役として連れて行ってもらうことが多かった。

 そのスナックのチーママの18番がこの鏡の中の女、夢でもいいからだった。

その店のスナックレディもそれぞれ好きな、上手な、歌いなれている歌を
持っていた、がその中でも彼女の歌っていたこの2曲は抜群だった。

他の店でも想い出に残る歌もあったがそれはまた後日書くとして。

 『あのひとのそばでねむりたい、ちいさくからだまるめて・・・・
で始まるこの夢でもいいからについてそのチーママに
想い出話を聞いた事がある。

九州の方の出身で初めて大阪に来て、
ある男性と知り合い一緒に暮らした・・・とか
言う典型的なお水系の女性の話に出てくる内容だった。
でも本当の話でここではさらに深い話は割愛するがこんな人生もあるのか・・・と言う実話だった。


鏡の中の女(MIE)

 鏡の中の女も上手だった。

歌詞のスタートは『ドアを体であけて、部屋の明かりをつける、 部屋は出かけた時とそっくりそのまま・・・・一人ぼっちの夜がまた始まる…

を歌いだすとほかのお姉さんも体を右左に揺らしたりして注目させていた。

何かの営業上の戦略かもしれないが高音が素晴らしく
すべてに上手だった。もう一度聴いてみたい。

いま、あらためて聴いてみると鏡の中の女、夢でもいいから共に
実に切ない女性を想像してしまう。

いい曲だと思う。こんな曲はもう聴けないのかなあ。カバーとか出ていないのか?
その店もバブルがはじけて無くなりそのチーママも推定60歳。どんな人生を歩んでいるのだろう?

2曲とも動画で見ることはできないだろうか
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Be My Venus(亜蘭 知子)1988年 [1980年代の曲]

Be My Venus (亜蘭 知子)

 今回もあの時の先輩の想い出。
先輩を見ると『天は二物を与える』、と言うものだと思った。

 1983年の年末は関東にいたが翌年、大阪へ戻った。
 先輩は別れる時に、ビブロス?と言う赤坂?のディスコへ連れて行ってくれた。
そこで『今度会う時はお前か俺の結婚式のときかな』と言われたのを覚えている。
 
そして1989年春に東京で盛大な結婚式によばれた。
婚約者は1983年の時の彼女でテニス教室の生徒。
先輩はコーチだった。先輩は180センチ以上あり
大学のテニス部出身。

彼女は当時高校生で、『ばっつぐん』に、かわいい子だった。
彼女は大学を卒業しての結婚となった。長い付き合い期間だった。

結婚式の前日、東京入り、先輩は井の頭公園だったか、
またテニスに誘ってくれた。

『えっ?またテニス?』 と思ったが一応、予想していたので喜んだ顔をしていたと思う。

メンバーは婚約者とその友達。何とカップルでのテニス。
先輩チームは翌日結婚式。
こちらは即席チーム。

私は5年ぶり位のテニスで、もともとうまくなかったので相変わらずひどい。
一緒にペアを組んだ彼女は先輩の婚約者の高校からのテニス仲間。
レベルが違った。

この子もかわいかったが最初から彼氏がいると言っていたので
特に意識はしなかったが『類は類を呼ぶ』典型的なパターンで
ものすごくかわいい子だった。

その後どこかの海岸へ行った。
車のカーステレオでは亜蘭 知子Be My Venusがなっていた。
この歌は亜蘭 知子では特にヒットはしなかったようだが
渚のオールスターズで何度も聴いた。

この時は『この曲何?』と何気なく彼らに聞いたら誰かが教えてくれ
その後何度も聴いた。他にも私の好きそうな曲がいっぱいなっていた。
しかし覚えているのはこの曲だけ。
あとはしゃべりまくり盛り上げ役に徹していた。

私には特に良い思い出があるわけでは無いが
先ほどもまたSummer Vacationを聴いた。
このBe My Venusと共に聴くと先輩を想い出す。

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Summer Vacation(川島なお美、 田中 友紀子、村田和人 & 竹内まりや)1983年~ [1980年代の曲]

Summer Vacation


 1983年秋だったと思う。私は神奈川県の工場で働いていた。
日曜日だけが休みでせっかくの日曜日は会社の草野球チームや
テニス部やサッカー部に駆り出されていた。

我々の世代は野球とサッカーは何とかできたがテニスは全くやっていなかった。
経験者と未経験者では大きな差があった。

 その日はテニスの練習に先輩社員の運転するセリカで
独身寮から一緒に出発。
もう一人の先輩社員の家に寄って行くため私は後部座席に座った。

その車の中でいつも聴いていたのが川島なおみのLPだった。
このアルバム名は何といったかその時から知らなかったが良い曲が多かった。

その中でもダントツ寮の二人が好きだった曲がSummer Vacation
途中で乗ってきた先輩からは『また川島なおみを聞いているのか?好きだねえ』と言っていた。

 その先輩は中学高校とテニスをやってきていて
テニスコートへ行くと上手で背が高く、カッコ良かった。ほんとにカッコよい先輩だった。

いろんなテニスコートへ行った。どこへ行ってもその先輩は多くの女子には人気の的。
当時の高校生や大学生の女子にはテニスが絶大な大人気で
テニスができる男子は人気、私は本当にテニスコートへ行くのが嫌だった。

Summer Vacationの入っていたLPはその先輩の車の中でしか聴かなかったが
何度も聴いたので覚えている。

衝撃的なことが昨年の夏、ラジオでSummer Vacationがなった。
歌詞が違う。

30年間知らなかったが村田和人と竹内まりやのデュエットが。
なんと、田中 友紀子と言う歌手も歌っていた。
そして、竹内まりや&山下達郎も歌っている。
川島なおみはどこへ?ぜひとも聴いてみたい。

実は昨年の夏以来、村田和人と竹内まりやSummer Vacationを聴いている。
まさにあの時の先輩はテニスコートで出会った当時飛び切りかわいかった女の子と結婚、
今も神奈川に住んでいる。

Summer Vacationを聴くと自分の青春の出会いではないのだが、
そして更に大きな錯覚と妄想だが歌詞にある『テニスコートの出会い』が懐かしい。

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ちょっと好奇心(矢野良子)、雨の日のサンシャイン(沢田聖子)1981年 [1980年代の曲]

ちょっと好奇心(矢野良子)、雨の日のサンシャイン(沢田聖子)

 山ほどある昔聴いていたカセットテープの中に恐らく30年は
聴いていなかった曲も多い。

そのなかでは歌手名も曲名も忘れていた曲が多々ある。
その歌手名、曲名も今はインターネットによっていとも簡単に
見つけられる素晴らしい時代になった。

ただネット検索をしてもその動画なり実際の音楽を
聴けるまで検索できない場合もある。
これも探しようによっては見つかるらしい。
現にこの二曲を私は見つけることができなかったが子供は簡単に見つけてくれた。

 私の場合は例えば探す歌が1980年頃かと思えば

【1980年のヒット曲】

で探す。そしたら大抵レコード売上順、などになっており、
上位〇位以降の曲は出てこない。

実はこの、ちょっと好奇心、雨の日のサンシャインともにかなり売れた、
とは思えないし知名度は高くないと思う。

いつものカラオケ仲間でも雨の日のサンシャイン
知っていたのはいなかった。ちょっと好奇心の方は一人は何とか覚えていた。
やのりょうこのスカートのすそが斜めだったとか、京都の子だったとか。

この様なメロディの曲を最近聞けなくなったのは時代の流れで残念だとは思う。
よく聞いてみると歌詞が幼くかわいい。
歌詞の内容が当時の若者のつきあいや
デートの状況がそういう感じだった、と思いだされる。
車を運転しながら聴くと、実に軽快なテンポで何度聴いても懐かしく、飽きず、好きな曲だ。

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ポールポジション (今井美樹)1987年、 「C-Girl」(シー・ガール)(浅香 唯)1988年 [1980年代の曲]

ポールポジション (今井美樹)、 「C-Girl」(シー・ガール)(浅香 唯)

 人生に1回だけスキューバーダイビング、をしたことがある。と言ってもインストラクターのお兄さんについてもらい、日本海へ行っただけではあるが。 

夢はハワイ、沖縄といった真っ青な海をもぐるはずだった。
しかし2回目は訪れることはなかった。

大阪でスキューバーダイビングの体験ツアーの様なものを募集していて
職場の先輩が我々を誘った。誘われたのは男4人。先輩は2人。
先輩2人とも既に30歳だった。

当時、男の30、と言うと、職場では結婚した人が多くこの2人は、稀、だった。
しかし断ることもできないのとスキューバー、に対する興味が高かったため喜んで参加した。

日本海へ向かってしばらくしたら、なんとどこかのスーパーマーケットの駐車場で
合流してきたのは女子大生7人。
インストラクターは6人対7人、と言って3台の車を適当に分けてくれた。

車の中ではまるで、数年前まで人気テレビ番組だった、ラブワゴンに乗り旅をする『あいのり』状態となった。

車の中ではこの2曲を初めて聴いた。
ポールポジションを知らなかった私は、何と言う歌手が何という曲名なのか
非常に興味を持った。ドライブにはもってこいの高音の女性、メロディも良い。

そしてシー・ガール、ちっちゃなからだのニコニコ顔のアイドル、
インストラクターはカセットを何度もかけてくれた。
正にこれから行くぞ!と元気をくれる曲だった。

 現地では女子7人はスイスイ潜って行った。
彼女らは近々、どこかへ潜りに行く最終の練習だった。
車中で話は聞いていたがレベルが違った。みじめなものだった。

先輩のうち一人は100kgを超える巨体で潜るのに必要な『耳抜き』がなかなかできず
最後まで潜ることができなかった。
何と言っても潜水ができず、特別レッスンされていた。

そして途中から豪雨となり、波も高くなり早めに撤退、となってしまった。
楽しめた方の先輩は、もう一人の先輩に対し
『情けないなあ、何のために行ったのわからない』と言っていた。
確かに全員そう思っていたが怖くて言えなかった。

帰りは解散場所の事もあって男女は別れて助かった。

帰路も同じカセットでポールポジションシー・ガールも聴いた。
ツアー会社は時間が短かったのでもう一回連れて行ってくれるとの話になった。
しかし満足していた5人はお断りしたが唯一海中での写真がない先輩は
もう一回行く、と言って後日、本当にもう一回違う後輩を連れて日本海へと行った。

しかし後日、その後輩に聞いた事にはまたもや潜水ができずかわいそうでした、との事だった。
ポールポジションシー・ガールを聴いたらあの先輩を想い出してしまう。

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パラダイス銀河(光GENJI)、夏がくれたミラクル(工藤静香) 1988年 [1980年代の曲]

パラダイス銀河(光GENJI)、夏がくれたミラクル(工藤静香)

 たまたま仕事で展示会に出品するから手伝うように言われ
大阪から東京へ出張となった。

当時は宿泊出張が主でそれを期待したがその通りになった。
しかし大阪から東京へトラックで移動と言う少しきついものとなった。

 その移動のトラックの車中でパラダイス銀河がかかった。
一人で真夜中に東京へ向かったわけでラジオを聴くしかなかった。
何度も深夜パラダイス銀河が流れた。これは東京に着くまでの
眠気を取っ払ってくれそうなノリの良い曲だった。

展示会が終わってまた、今度は東京から大阪への運転となった。今の会社では
考えにくいが展示会が夕方に終わり片づけ終え、そこから食事することもなく
大阪へ向かった。

二泊ほどしていたので体力はあったが早朝から立ちっぱなしで
そのまま運転なので危険なほど何度も眠さが襲ってきた。

浜名湖あたりのパーキングで仮眠しそこでラーメンを食べて運転再開した時、
深夜ラジオでパラダイス銀河がなったのを覚えている。
またか!と思うくらいよく聴いた。

これくらいの想い出だが大阪でびっくりしたのは
かなり売れていてレコード店では売り切れが続出して店員が
購入追加の予約者の一覧表を記入しているという。驚いた。
そんなに売れている曲だったのか。

奇しくもそれからまた半年後位にまた東京へトラックで展示会の応援に
行かされた。ラジオでは工藤静香の曲でB面とは言ったが
そのラジオのパーソナリティが一押し!と言うようなセリフだった。

一度聞いてまた、どうしても聞きたくなった。B面と言うことで
探して後日購入した。

二回目の運転は淡々と往復したように思う。この夏がくれたミラクル
あの頃以来聴いた事が無いが覚えやすいノリの良い曲だった。

この時も朝の6時頃かに到着し駐車場で仮眠して通常業務、と言う今では
あまりない仕事だったが周りもこのようなハードな時代だった。

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忘れていいの(小川知子、谷村新司)、恋の予感(安全地帯)1984年 [1980年代の曲]

忘れていいの(小川知子、谷村新司)

 あの肉体労働の期間、夜はみんな雑魚寝だった。どうみてもいろんな意味で危険極まりない場所だった。できるだけ遅くまで起きて早く起きるのが安全だった。 遅くまで歌の番組が多い時代だった。

もちろんアイドルには非常に興味のある世代ではあったがいかんせん、周りは年上の『おやじ』だらけで演歌の好きな人が多かった。

 その中で忘れていいのは大人の歌で人気があった。この曲も仮に今リリースされても売れるだろう。なかでも、『夜のヒットスタジオ』で二人の歌の終わりの所で谷村新司が小川知子の胸元に手を入れていったのは今でも印象に残っている。 

その後何回、カラオケに行ったのかわからないがいまだに私はこの歌をデュエットした事が無い。ただもう少し若い頃にデュエットしてみたかったと思う今日この頃。

恋の予感(安全地帯)

 夜中に仕事をすることもあった。その時、ラジオからよく流れていた。もちろん他の曲も流れているわけだが恋の予感は口ずさみ易かった。覚えやすかったというか。何となく切ない歌詞。

当時、町ではボーカルの玉置浩二のヘヤースタイルを真似た若者が居た。
私の肉体労働だけの職場では全く見ることができないスタイルだった。

朝から晩まで仕事で遊びはほとんどなかった時期の歌だけにどんどん世間から離れていく自分に気づいていた。

最近、玉置浩二は芸能の話題によく出てくる。テレビで彼の話題で語られるのを見ると彼の人生もいろいろだなあ、と思う。そういう番組は時々見るとそれなりの年齢の芸能人の人生って面白い。

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つぐない(テレサテン)1984年 [1980年代の曲]

つぐない (テレサテン)

この頃私は元気だった。完全な肉体労働で朝から晩まで上半身裸で仕事をしていた。このほかにもこの職場での想い出がいっぱいあるのだが一応自分なりに明確に想い出話ができるものを残しておきたいと思った。
一つ目はテレサテンのつぐない

その職場では、第二次世界大戦の兵役経験者の先輩たちが数人まだ現役でおられた。少なくとも10人はおられた。夜中、夜食を食べる時によく、戦時中の話を聞かされた。同じ話が多かった。

一番覚えているのはフィリピンへ行く船底で一人が歌いだすと(歌の内容は忘れたが)船底全員が歌いだすんだ、と言っていた話。おそらく生きて帰国された兵隊は少なかったと言っていたと思う。

その仲の良かった先輩(60歳位だったか)のお気に入りが『テレサテン』の『つぐない』だった。
あるとき日本人でないきれいな歌手がいい歌を歌っている、のような話をしてきた。私はその歌を聴いてテレサテン、で台湾出身だと言うとすごく気に入って夜になるとカセットテープで聴いておられた。

私のカラオケ仲間の話。ある熟女を卒業間近の仲間が毎回『つぐない』を1曲目に歌う。もう彼女の持ち歌になっているがテレサテンが歌う『つぐない』を仕事の最中に車中でラジオで聞く時がたまにある。
私が若かりし日にお世話になった先輩が大好きでいつも口ずさんでおられたのに、残念なことにこの持ち歌にしている彼女を想い出してしまう。

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ラストシーンに愛をこめて (倉橋ルイ子)1981年 [1980年代の曲]

ラストシーンに愛をこめて (倉橋ルイ子)

こんないいバラード曲が私の周りでは知っている者が少なく不思議に思った。そういう私も『ラストシーンに愛をこめて』は中山美穂のLPに入ってる曲で偶然、ラジオから聴いて思い出した位で長い間忘れていた。

『ラストシーンに愛をこめて』はバラードの名曲ではないかと思う。歌唱力ある倉橋ルイ子のヒット曲でもし仮に現在にリリースされていたらバラードが少ないだけにヒットするのではないかと思ったりもする。

一番大事な季節、一緒に過ごしてきた、という歌詞はほんとに切ない気持ちがする。

1981年と言うと田原俊彦、松田聖子、ギンギラギンにさりげなくのマッチ、それはもう好景気が始める直前で
日本中が右肩上がりだった。私自身、何となく日本は元気だなあ、と思ってきていた。

その中でこの曲は少し違った。深夜ラジオで聞いた。その時のDJが「元気な曲が多い中しっとりする曲を紹介しましょう」と言うような紹介をしてこの曲が聞こえてきた。一回聴いただけでこの歌手が見たくなった。しかしインターネットもない時代、私は器用ではなかったので見つけることができなかった。

それから何年か経った。実際には1986年にリリースされた中山美穂のLPの1曲の紹介でたまたま車中のラジオで聞いた。かなり後に偶然、車中で聴いた。偶然に想い出の曲に出会えた。いま、倉橋ルイ子は現役で歌っているなら聴いてみたい。

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