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燃えろいい女(ツイスト)1979年  [1970年代の曲]

 当時こんなに元気さとか勢いとかを感じとる歌に出会ったことがなかった。

ハスキーで大声の世良公則がロングヘアーで汗だくで
歌っていたこの曲はテレビの歌番組、コマーシャル、
ラジオでも頻繁に聴いた。

コマーシャルは何かと調べたら
資生堂 '79サマーキャンペーン・ナツコの夏』だった。
ナツコと言うのはどうしてなのかわからなかったが
燃えろいい女はまさに夏にはぴったりの曲だった。

ある夏、会社の先輩らと大阪駅周辺のデパートの屋上ビヤガーデンに行った。
1979年の夏に違いない。
そこで私は先輩らから大量にビールを飲まされた。

フラフラになってはいたが泥酔までは至っていなかった。
しかしある先輩が当時携帯電話が無いため
どこかへ電話をしに行くと言ってビアガーデンの入り口付近へ行った。

多分、夜の9時か10時頃だったと思う。

その先輩は戻ってきて私ともう一人の私の同僚に対し、
『もうすぐ車に○○が迎えに来るからそれで帰れ』と言った。

驚いた。

その人は経理部の私より5歳くらい上の人だった。

ホテルの下で待っているとその人が来た。

 何と家まで送ってくれると言うので甘えかせてもらった。

忘れもしない新車でミラージュだった。
私は調子よく隣座席、車内ではその人のカセットで
ご自慢のスピーカーから燃えろいい女がガンガンなっていた。

私は『この歌が迫力あって大好きだ』とその人に上手をした(関西弁かも)。
そうこうしているうちに後部座席に乗っていた同僚は吐いた。
車内は一気に何とも言えない臭いの修羅場と化した。

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いとこ同士 (有田 美春)1974年 [1970年代の曲]

『夏が来るたびに日に焼けた顔で・・・』で始まる、
このいとこ同士をその時に初めて知った。
その時と言うのは前回の夏木 マリ夏のせいかしらを聴いたプール。

当時、沢田研二とかフィンガー5西城秀樹がヒットしていたようで
夏の歌ではほかにもいろいろBGMとして聴いていたはず。
その中で想い出に残るこのいとこ同士が大音響でなっていた。

今聴くといかにも1970年代の曲だなあ、と思う。

しかしノリは良く短めの曲ではあるが
また10代に戻ってあのプールで聴いてみたいと言う曲でもある。

なぜこの曲を覚えているかと言えば
その時我々男5人は時代に逆行するかのように
スポーツ刈りだった。

そこでその時に出会った5人の女子大生からヘアースタイルを見て
『君たち野球部?』と聞かれたから。

つまりこの有田 美春いとこ同士の歌詞に『野球クラブに入った・・・』
が出てくる。

誰もが新聞配達少年で
私以外は夕刊も配達している。
部活動に入れるわけがない。
にもかかわらず中卒で高校へ進学していない先輩が
『そう、全員野球部』と言ってしまった。

まあ口から出まかせ、ではあるものの
その頃の私にはよく冗談でも嘘、を上手に話せるなあ、と感激した。

でもその女子大生から『あっそうなの』で終わってしまった。
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夏のせいかしら(夏木 マリ)1974年 [1970年代の曲]

 41年も前になるのか、連日、暑い日が続いていた。
最近かなり暑いと言うのが40℃を超えたりする現況
今の子供には気の毒でもあるがあの頃もとても暑かった。

 暑い日と言うのは朝刊を配達するうえでわかった。
各人、配達する順はいったん遠方まで
自転車で行ってそこから戻って行くと言うのが多かった。

従って最初に全力で一番奥をめざし直線を走ることが多かった。
その時間、朝の4時過ぎ、暑くなる日は既に暑かった
4時過ぎと言うのにもう暑い。

ある暑い朝、配達から戻ると配達所の御嬢さんが
ある無料プール券を我々5人にくれた。

そして直行。プールでは意外な展開を体験する。
そのプールで夏木 マリ夏のせいかしらがなっていた事だが。
その頃こんなにアップテンポの曲はそうなかったと思う。

18歳の先輩がなんとビーチボール遊びを
知らない女の子とやろうと誘ってきた。
これはいわゆるナンパに成功した、と言うこと。

彼女らはビキニの5人、岡山からの大学生(単に出身地がそうだっただけかもしれない)。
最初、中学生の私はどうみてもガキで
その女の子らとはしゃべれそうになかった。
腰くらいまでの水深でのビーチボール遊び、何とか楽しんだ。

水泳客全体に休憩タイムが訪れた。
女の子たちからコパトーンを塗ってくれと言われ
私ともう一人の友だちは躊躇した。

その子が夏のせいかしらを歌いながらじっとしていた。
こちら2人は何の歌なのか知らなかった。

その子らに聞いたら『えっ?この歌知らないの?コパトーンも知らないって言う人初めて』
とびっくりされた。
夏のせいかしらイコールあのプールでの出来事を想い出す。

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ビューティフル・サンデー (ダニエル・ブーン)田中星児 1976年 [1970年代の曲]

 ビューティフル・サンデーは1972年に
ダニエル・ブーンが歌って世界的にヒットのではなく
日本で田中星児が朝の番組で歌って
1976年にヒットして知った。
https://www.youtube.com/watch?v=pfMbV_DP5mE
つまりビューティフル・サンデーは先に海外の歌でヒットしのちに
日本でも大ヒットした。私はダニエル・ブーン田中星児が歌ったレコードを持っていた。

あの頃私は早朝、新聞配達をしていた。
ほとんどのメンバーがその新聞店で朝ごはんをよばれ
そのまま学校へ行っていた。メンバーは5人。

みんなが同じ動きだったがちょうど学校へ行くまでの時間、
テレビで朝の番組を見ると田中星児がこの歌を歌っていた。

そして海外を旅している風景がバックに
映っていたような気がする。
確かキャラバン隊とか?と言う車で旅をする番組で
現地の人とさよならをしているシーンを想い出す。
現地の人がいつまでもその車を追いかけてさよならを
しているのではあるがそのシーンしか想い出せない。

もともと田中星児はNHKのうたのおにいさん、
として活躍されていたのでビューティフル・サンデー
歌う朝の番組での活躍は日本中に知れ渡っていたのだと思う。

私の場合はこのビューティフル・サンデーと言うと
田中星児となる。
最近も活躍されているのかどうかわからないが
非常にさわやかな誰にでも好かれる人だった。
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