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中の島ブルース(内山田洋とクール・ファイブ) 1975年 [1970年代の曲]

 31歳で古くからの幼馴染の友達が亡くなった。
彼は私の2歳年上であったが小学生の頃はもちろん
普通にふざけていた仲。

社会人になってから私が神奈川に行き彼は東京、という事で
東京駅で会うことになった。

時はバブルの絶頂だったのか彼が連れて行ってくれる店は
どこもかも満員で結局、高級なスナックにはほど遠い、
平均年齢がかなり高い熟女が接客してくれるスナックへ行った。

一見さんだった。

 そこでは偶然、自称『大阪出身』のママさんがいる店で
その他熟女が3人くらいいたか、
流行っていなかった。

そこで友達が歌った中の島ブルースが上手で
私は歌いにくくなった。私は聞き役になっていった。

https://www.youtube.com/watch?v=_8cfIuUESF0

友達は前川清のファンでその他何曲か歌った。

 70歳位?の熟女らも客はたったの二人で
かつ中の島ブルースが上手すぎて
その友達が歌い終わったら友達と私のまわりは
おばあちゃん、いや熟女のファンと化した。 

私は座っている間、その大阪出身と言うママさんの
なぜ、ここに流れ着いたのか・・・なる苦労話を聞かせれ、
どんどん酒を飲まされてしまった。

はっきり言ってどうでも良かった。

でもよくよく聞いてみるとイントネーションが少し違った。
 いま、ぼんやりとしか覚えていないが生まれはどこか大阪とは
違い何年か大阪に住んでいた、と言う感じだった。

どうでも良い事。

その時は友達もせっかく私を東京に呼んだのに
良い店が満員で悪いと思ったのか、
盛り上げ役として頑張ってくれたし、
私も楽しんでいるふりを、70歳くらいのママさんとしていた。

 くも膜下出血だったか、頭の病気で亡くなった。若すぎた。
彼の奥さんからの年賀状を見るたびに
一人娘の成長と中の島ブルースを想い出す。

中の島ブルース、この様な歌も無くなったなあ、と思う。大好きな歌。
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君は天然色 (大瀧詠一)1981年 [1980年代の曲]

 一度だけ海外に長期滞在したことがある。

23歳の時に、アメリカの工場へ一時異動となった。
これは前任者がある事件を起こし退職され
何故だか若すぎるのに私が代わりに短期間だけ行く事になった。

総務人事部?から90日以内ならビザが不要とか言われ(未だに本当かわからない)出発の
1週間ほど前に言われた。

当時候補者が他にも居たはずだったが
現地の工場長が入社時私をかわいがってくれていた人で
経験させてくれた模様。

 現地では日本にいた時とそれほど変わらずの仕事で楽だった。
(行かなくても良かったかも?)と思ったこともあった。

ただ苦痛なのはアメリカ人と接することで、
会話ができない事からスポーツで接しようとした。

当時バスケットボールチームを現地で作っており
参加したかったがあまりにもレベルが違う、

そして次に野球、一応これならできるかと思ったら誰もやっていない。
昼休憩時間にキャッチボールはやってるが1対1で終わったあと、
会話ができない私はニコニコ愛想笑いだけで続かない。

子供たちではサッカーがすごく人気だったが大人はやってなかった。

 そこで寮仲間にやらされていたテニスとなった。
 日本でも超へた、でどうしようもないのにどうしたもんかと考えていたら
いわゆる、ジャッジ、はできることになり休日は5時間ほど、
炎天下でジャッジの役目。

これが受けた。選手の家によばれたりし始めたのはもう2カ月くらい経っていた。
 
当初よく聞いていたのは大瀧詠一
A LONG VACATIONを録音したテープだけ持って行った。

現地の歌を録音しようと思って未使用のテープを持って行ったが
結局2本しか録音しなかった。

日本から持って行ったおしゃれなテレコU4。
素晴らしいラジカセだった。赤色のWカセット。いまのCDなどよりよっぽどみんなの前でも使用できるし使用したら盛り上がる。

唯一の現地の友だちG君は君は天然色がお気に入りだった。
https://www.youtube.com/watch?v=dH9yLGoIxBw
G君は日本語を少ししゃべることが出来た。

君は天然色を聴けば元気が出た。
当時アメリカでも良い曲が多くFMラジオを聴くのは楽しかった。

ここ何日か大瀧詠一のテレビ番組があったり
今年の高校野球で彼の出身高校が甲子園に出場したりで話題。
大瀧詠一は私にとっては忘れられないシンガー。
昨日テレビCMでカナリア諸島にてが流れた。
 大瀧詠一の歌は途切れることはなさそう。

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北風の中 (松山千春)1980年  [1980年代の曲]

 かなり、マイナーかもしれないが意外とこの曲について好きな人も多いかもしれない。

松山千春のLP、『木枯しに抱かれて』の一曲目に入っていたこの北風の中
松山千春が25歳の時のLPで今思うといい曲を書いたなあ・・・と驚く。

 松山千春のLPはデビューから数枚持っているが
この『木枯しに抱かれて』には大好きな曲が多かった。

この北風の中についてはどうしても同じ会社だった先輩を想い出す。
 以前にも書いたがhttp://utaomoide.blog.so-net.ne.jp/2014-10-07、とにかく恰好良く、
背が高く甘いマスクでテニスが上手だったこの先輩との想い出。

関西の先輩の想い出話ではいろいろ面白かった事とか
その先輩のドジ話を連想するがこの先輩については、すきがなかった。


土、日でテニスサークルで合宿を行った。
我々男子後輩たちにとっては彼女探しの絶好のチャンス。

当日、テニスの練習が終わり夜はバーベキューとなった。
圧倒的に女子が多く30人くらいいたが男子は10人位か、

しかし私を含め男子8人がかたまって飲んで食べて、
ちっとも女子との接点がなかった。

 バーベキューでゲームが始まった。(これは割愛して・・・、)
わざわざこの地に先輩がギターを持ってきた。

そして2曲歌った。一曲目が北風の中だった。

以前からこの先輩は松山千春が好きで
テニスサークルにおいても『当時の』松山千春カット、をしていて
(さらっとした長髪)サーファーの様なイメージ、女子達は
こぞって松山千春の曲は知っていたので感動のバーベキューでの余興となった。

歌を聴いていた残りの男子8人も肉類がさっさと無くなり
酒類の飲み過ぎで女子と一緒に違う意味でうっとりしてしまった。眠くなったと言うか。。。

北風の中の動画を探したが見つからなかったが
CDを購入したので時々聴いている。
テニスは下手過ぎたが元気だったあの頃が懐かしい。

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