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いのちの歌(茉奈 佳奈・竹内まりや)2009年 [2000年代の曲]

 いのちの歌は数年前からお気に入りの歌であったが、
特にエピソードもなくブログには登場することもなかった。

 ずいぶん長い間、このブログを書いていなかった。
 その間にいろんな出来事があったのは当然で最も悲しいことを
書こうとしたもののなかなか書けなかった。

 独身時代、寮生活時代にお世話になった最もかっこいい先輩が亡くなった。
2014年10月『Summer Vacation』
この先輩との思い出をこのブログに書いた。

 今日は2020年3月末なので、8か月前の事。

 訃報を聞いたのは偶然で、亡くなって10日後だった。
 当時の寮生の仲間で何人かと年賀状だけの付き合いが続いていて
その一人Aくんからで全くの偶然だった。
配送で行った名古屋駅付近の路上で出会った。
 お互い住まいは関西圏。 不思議。

 Aくんはその亡くなった先輩の娘さんから訃報を聞いた。
ただ、Aくんからは
『おまえがかわいがってもらってたOさん、亡くなったよ』それだけだった。

 帰りは運転しながら当時の思い出が脳裏に。
 仕事は拷問の様にきつかったのに先輩に連れて行ってもらった
テニスはじめいろいろなイベントや、渋谷、新宿などなど、
思い出がよみがえり、泣いてしまった。

 LINEでAくんから亡くなった先輩の住所を聞き、
ご自宅へ訪問、できたのは12月半ばだった。

2重のショック!  
奥さんは(私は好きではなかったが何度も行った)テニスに
来ていた独身寮生の人気の的だっためちゃめちゃかわいい女子大生。

しかし2014年8月に病気で他界されていた。
偶然にも2014年10月に亡くなった奥さんについて書いていた。 

 訪れたのは神奈川県のマンションのかなり上の階。
 先輩は結婚後、2人の娘さんと4人で家族だった。
会社は景気が悪くかなり規模粛清し、つまり私が勤めていた会社は
赤字、赤字となっていた模様。

 当時の社長の甥っ子だったため大変なご苦労された会社員生活だったらしい。

遺影、を見たときにあの若かりし先輩とは異なり
白髪でお爺さんの様だった。私より4つ上だがもっと上に見えた。

 2人の娘さんと赤ちゃんに会えた。
このご自宅は長女さん一人で住んでるそうで
次女さんが6年ほど前に結婚、子供が生まれたばかりだった。

つまり先輩の奥さんが亡くなる前に結婚、
初孫は先輩が亡くったってすぐに生まれたことになる。

 その次女さんから結婚式のビデオを見せてもらった。
 そこで結婚式披露宴にて友人3人がいのちの歌を歌った。
そしたらなんと新婦次女さんの父親である先輩が泣いていたのが映った。

そりゃ、感動するだろうな、とは思ったが、
あのはっきり言ってプレイボーイ、今で言うイケメン、
背が高く、テニスがめちゃめちゃ上手、やさしい、
後輩の面倒見も良い、有名私立大学卒の先輩、お金持ちの先輩、が泣いていた。

 時代だなあ、と思った。 その先輩が半年近い入院生活の末に亡くなった。

ご自宅で長い時間滞在してしまった。

父母、ともに若いころテニス場で私と会っていたという
証拠写真が有ってそれでは盛り上がった。
スコアボードでは先輩カップルが大差で
私と寮生チームにリードしているものだった。

年明けに次女さんの赤ちゃんのお祝い品を送った。
次女さんからお礼の電話が入り、
年末の紅白で竹内まりやいのちの歌を歌ったが
号泣して見ていたらしい。
『私も感動して見ていました』と瞬時にこたえたが
私はその時間帯、小学生の孫たちとゲームをして、
酒を飲んでいたので眠さでいち抜けして爆睡していた・・・。



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