SSブログ
1970年代の曲 ブログトップ
前の10件 | 次の10件

冬が来る前に(紙ふうせん)1977年 [1970年代の曲]

この季節になるとラジオから
冬が来る前にの歌がよくリクエストされてきた。

しかし最近あまり聞かない。という事で先日、
FMラジオにわざと知り合いにリクエストさせた。

しかしその放送を聞きそびれリクエストが採用され、
放送でなったのかどうかわからないと言う失態。

よく考えてみると、冬はとっくに来てしまっているし
11月初旬にリクエストするべきだった。

この冬が来る前にのイントロの部分が好きで
深夜ラジオでたいてい上位だった頃は
『さて、今週の第一位は、冬が来る前に』とか話され、
イントロが流れ出すのを楽しみにしていた。

まあ、ようはイントロの部分が大好きだった。

時がかなりたって
ボーカルの平山泰代さんは関西圏の出身でラジオでも良く聴いたが
実際にテレビではあまり見たことはない。

頻繁にラジオで聴いていた頃、ピンクレディが全盛で
UFOとか?競合していた事を覚えている。

と言うのは大阪のレコード店で
一枚だけ貼られていた紙ふうせんのポスターと
あちこちに貼られていたピンクレディのポスターが
隣り合わせで貼られていて友達はその時、
「この二人夫婦か?」というような話をしていた。

そして友達は紙ふうせん冬が来る前にのレコードを購入した。
私はピンクレディのレコードを買い二人で貸し合い、した思い出がある。

ピンクレディのレコードがUFOだったかどうか何故だか覚えていない。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

アローン・アゲイン (ナチュラリー)(ギルバート・オサリバン)1972年 [1970年代の曲]

 このアローン・アゲインを知ったきっかけは次のどちらだったか、
未だにわからない。
と言うのはラジオからか?兄貴からか?である。
アローン・アゲインとの出会い』について自分ではっきり覚えていることがある。

一つ目の『説』、時間帯は忘れたがラジオで女性が
『私は学生時代にアメリカへ留学したのね。夜勉強しているときにラジオから
アローン・アゲインが流れてきた。寂しい海外での一人ぼっちの部屋で
この歌を聴いたけれど非常になつかしい。』
とかで『アローン・アゲインをおかけします』
みたいになって私は聴き、なんて良い歌だろう!と思った。

https://www.youtube.com/watch?v=BD4yL-fXU6s

もう一つの『説』は、兄貴がLPを買ってきた。
みどり色でギルバート・オサリバンの顔が正面に出ているLP。

兄貴が『お前はベイ・シティ・ローラーズばかり聴いてるが
『このLPを聴いてみろ!絶対にこちらの方が良いぞ』と
言われアローン・アゲインを知った。  どちらだろうか?

ま、どうでも良いけど。私は兄貴のそのLPのなかでクレア、
という歌も好きで、時々喫茶店とかBGMで聞く時がある。

アローン・アゲイン、もう45年ほども前の曲になっているのか。
この頃からアメリカには私にとってどんどん良い曲が出て行く。

いま、このアローン・アゲインの詩について、
ネットで初めて知ったが、
詩には深い意味がありとても日本語にそのまま訳して歌えない、らしい。
CMで起用されているが詩、がそのCMに適しているかどうか怪しいらしい。     

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

ノブはボクサー(瀬戸口 修)1976年? [1970年代の曲]

 ノブはボクサーのレコードを買ったのは1977年の1月頃。
とにかく非常に寒い日に自転車で近所のレコード店へ買いに行った。
そこで二葉 百合子の岸壁の母と一緒に買ったのを覚えている。

もちろんこちらは母からのリクエストだった。
ただ、今になってなぜこの二曲ともリリースされたときに
買っていないのかはわからない。

帰宅して岸壁の母を聴く前に、
既に社会人であり結婚して家を出て行った
兄貴の部屋にあるステレオでノブはボクサーを聴いていたら、
母がこちらの歌の方が良い、と言い出した。

私や弟や母は当時兄貴が置いていった
フォーク大全集のような3枚組LPをなんども聴いていて
母が意外と好んでいて口ずさんでいた。

そしてノブはボクサーも口ずさむ歌に加わった。

https://www.youtube.com/watch?v=_tvIspunHTU

最近、動画サイトで現在の瀬戸口 修を見た。
確か当時のレコードでは顔があまり写っていなかった。

また私は芸能人雑誌類でも瀬戸口 修の顔を見た事が無かった。
私と同年代である瀬戸口 修のライブ姿を見ると
あの頃に歌っていたライブ動画が有れば見てみたいと思った。

あの頃は詩も人間関係にまつわると言うか
友情について歌う様な良い歌が多かった。
また未だに心に残る歌も多かった。
そう思うのはやはり年を取ってきたのだろうな。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

薔薇の鎖(西城秀樹)1974年 [1970年代の曲]

 先日、西城秀樹らの元音楽プロデューサーが逮捕されたと言う
事件があった。

内容はともかく、西城秀樹薔薇の鎖についての想い出がある。

これは良くない話ではあるが1974年のある日、
友達らと映画を見に行く途中での出来事。

映画館へ先に行きチケットを購入、
時間を確認して再集合と言うことになった。
そして理由は忘れたが本屋とレコード店に別れた。
本屋へは私はじめ3人、レコード店には2人。

上映時間が迫ってきて待ち合わせの場所に到着したが
レコード店へ行った2人がいっこうに来ない。
ぎりぎりまで待ったが来なかった。

その間、迎えに行こうと言う私と
もうすでに中に入ってしまったのでは?と言う意見に分かれた。

結局本屋チーム3人は映画館内へと。

館内に入ってからでも探せると思いきや暗くて
しかも混んでいてわからなかった。

当時携帯電話など無く、館内で、その名前を呼ぶこともできず。

映画を見終って出口で待ったが会えず
我々はレコード店へ行った。

その途中でばったり出会った。
ビックリした。

それは今でいう『万引き疑い』で『店の事務所で監禁』されていた。
万引き疑いの品物は西城秀樹薔薇の鎖だった。
二人のうち一人は疑われやすい鞄を持っていた。

そして店員に疑いをかけられた時にその店員を殴ってしまった。
そしてややこしくなったらしい。

その友達は、キャロルが大好きでましてや
アイドル西城秀樹には興味が無く万引きなんてするはずがない、

それで最終的に警察が来て鞄の中を調べられ、
『無実』が証明された。

しかし彼らは映画を見ることが出来ずで、
再度我々がそのレコード店へ話し合いに行った。

やさしい店長は自腹で映画代を返金してくれた。

その後学園祭で、キャロル大好きな彼が西城秀樹薔薇の鎖を歌って
担任の先生はじめ拍手喝采を浴びた。
中学卒業後会っていないが彼はどうしているんだろう。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

暑中お見舞い申し上げます(キャンディーズ) 1977年 [1970年代の曲]

 毎年世間が、暑中お見舞い申し上げますを書く季節になると
この歌を想い出す。
もっとも暑中・・・と残暑・・・のハガキを出すことはほとんどなく
どちらかと言うといただいてばかりで申し訳ない気がする。

1977年というとこの頃学校ではレコードの貸し借りが盛んになっていた。

我が家には既にステレオがあったが
兄貴の部屋でしか聴けずの状態、つまり兄貴が購入したので
聴く権利は当然兄貴にあるが
私には自由に使用しても良い、との事だった。

学校での貸し借りはLPレコードを中心に行われていた。
が私は聴きたい曲、イコールシングルだったので、
ギブアンドテイクと考え、持っているレコードを数枚学校へ持って行った。

確か10枚位だったが、全て即、貸してほしいと言われ
貸したが借りたいレコードを持っている者が少なく
結局数枚しか借りなかった気がする。

そして悲劇がおこったのは、暑中お見舞い申し上げます
のシングルレコードだった。

貸した相手が次に誰かに貸しまた次に誰かに貸していき
私のもとに返ってこなかった。

その間必死に探せばよかったがそうすることもなく
今となっては苦い想い出。

しかもこれは兄貴が買ったレコードだった。
多分未だに事情は知らないと思う。

一か月前、テレビにラジオに暑中お見舞い申し上げますがなっていた。
38年も前の曲が未だに流れている。
やはり名曲だった。

中学生ですらこの歌は好きだと言う。
まだ何年後も聴く事があるだろうしそのたび
返ってこなかったレコードを想い出してしまうだろう。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

白いページの中に (柴田まゆみ) 1978年 [1970年代の曲]

 若手でこう言うシンガーソングライター(もう言わなくなったみたい)が出てこないのか、
とも思うことがある。

先日、ラジオ関西と言うローカルラジオでなっていた。
聴いた人もいるはずだがこの柴田まゆみ白いページの中には当時、
深夜ラジオで一定期間中『コッキー・ポップ』で毎日流れていた。

柴田まゆみが実際に歌っている姿を今日初めて見た。
つまり今まで恐らくだがレコードジャケットでしか
見た事が無かった気がする。

今では動画配信のおかげで当時の姿や
現在の歌手の様子を見ることが出来る。

そうか、こんな顔してたのか。この曲も良いなあ。
とか得るところが多い。

当時、中間テストや期末テスト前の勉強をしながら
深夜放送で聴いてたが(勉強をしながら)よく寝てしまった。
そしてパッと目を覚ました時に
ラジオから柴田まゆみ白いページの中にがなっていたことがある。

でもこの曲を聴くとやさしく緩やかな曲のため
また寝てしまったことがある。

そのことを友達同士、
翌日の学校でテスト前だったか後だったか
テストができなかった理由にしていた。

そして『柴田まゆみってどんな顔しているのだろう?』
とかの会話をしていた記憶がある。

残念なことに私は柴田まゆみの曲で白いページの中に以外を知らない。
また動画サイトで探してみたい。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

夕焼け(太田裕美)1975年 [1970年代の曲]

 哀愁が漂った曲。短い曲。随分長い間聞いていなかったがたまたまラジオで聴いた。
太田裕美夕焼けを今回あらためて考えると
またもや新聞配達をしていた頃を想い出す。

当時我々5人の配達少年は早朝、競い合うように『出社』。
その内私以外は夕刊も配達していた。
夕刊配達は夏がたいへん。
非常に暑く夕立と言う『事故』もある。

全員が、自分はずぶぬれになっても新聞を濡らすわけにはいけないので
苦労したと思う。

私は応援で配達をしたことがあったが数回のみ。
朝刊配達は途中から雨が降り出したことは
約6年間で数えられる程度だったと思う。
 
ある日、最もよくしゃべる明るい18歳の先輩Iさん(高校は行っていなかった)に
夕刊配達も誘われ

『夕刊配達軒数は朝の半分程度、良いぞ!また夏は夕焼けがきれいや』
と言っていて、
私を同じ様に誘って横にいた配達所の親方(経営者)が
ゆうやけこやけで・・・』の歌を歌っていた事も懐かしい。

その日かどうか、手伝いでの夕刊配達が終わり
夕飯を配達所でよばれた日にたまたまテレビで
太田裕美夕焼けを歌った。

一回聴いただけで一緒に食べていたメンバーは好きになったようだった。

 翌日、配達所の娘さんにその曲のレコードを買ってくれるようIさんが頼んでくれた。

その時買ってくれたかどうか忘れたが
私が高校生となりカセットに夕焼けを録音して何度も聴いた。
https://www.youtube.com/watch?v=5LTYf8rE2IM 

でも聴けば聴くほど気持ちがせつなく寂しくなった。

この夕焼けの次にリリースしたのが今もなお歌われる
木綿のハンカチーフだったとは今日、初めて知った。
あらためて筒美京平氏の作曲した曲に好きだったものが多い事に気づいた。

           

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

燃えろいい女(ツイスト)1979年  [1970年代の曲]

 当時こんなに元気さとか勢いとかを感じとる歌に出会ったことがなかった。

ハスキーで大声の世良公則がロングヘアーで汗だくで
歌っていたこの曲はテレビの歌番組、コマーシャル、
ラジオでも頻繁に聴いた。

コマーシャルは何かと調べたら
資生堂 '79サマーキャンペーン・ナツコの夏』だった。
ナツコと言うのはどうしてなのかわからなかったが
燃えろいい女はまさに夏にはぴったりの曲だった。

ある夏、会社の先輩らと大阪駅周辺のデパートの屋上ビヤガーデンに行った。
1979年の夏に違いない。
そこで私は先輩らから大量にビールを飲まされた。

フラフラになってはいたが泥酔までは至っていなかった。
しかしある先輩が当時携帯電話が無いため
どこかへ電話をしに行くと言ってビアガーデンの入り口付近へ行った。

多分、夜の9時か10時頃だったと思う。

その先輩は戻ってきて私ともう一人の私の同僚に対し、
『もうすぐ車に○○が迎えに来るからそれで帰れ』と言った。

驚いた。

その人は経理部の私より5歳くらい上の人だった。

ホテルの下で待っているとその人が来た。

 何と家まで送ってくれると言うので甘えかせてもらった。

忘れもしない新車でミラージュだった。
私は調子よく隣座席、車内ではその人のカセットで
ご自慢のスピーカーから燃えろいい女がガンガンなっていた。

私は『この歌が迫力あって大好きだ』とその人に上手をした(関西弁かも)。
そうこうしているうちに後部座席に乗っていた同僚は吐いた。
車内は一気に何とも言えない臭いの修羅場と化した。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

いとこ同士 (有田 美春)1974年 [1970年代の曲]

『夏が来るたびに日に焼けた顔で・・・』で始まる、
このいとこ同士をその時に初めて知った。
その時と言うのは前回の夏木 マリ夏のせいかしらを聴いたプール。

当時、沢田研二とかフィンガー5西城秀樹がヒットしていたようで
夏の歌ではほかにもいろいろBGMとして聴いていたはず。
その中で想い出に残るこのいとこ同士が大音響でなっていた。

今聴くといかにも1970年代の曲だなあ、と思う。

しかしノリは良く短めの曲ではあるが
また10代に戻ってあのプールで聴いてみたいと言う曲でもある。

なぜこの曲を覚えているかと言えば
その時我々男5人は時代に逆行するかのように
スポーツ刈りだった。

そこでその時に出会った5人の女子大生からヘアースタイルを見て
『君たち野球部?』と聞かれたから。

つまりこの有田 美春いとこ同士の歌詞に『野球クラブに入った・・・』
が出てくる。

誰もが新聞配達少年で
私以外は夕刊も配達している。
部活動に入れるわけがない。
にもかかわらず中卒で高校へ進学していない先輩が
『そう、全員野球部』と言ってしまった。

まあ口から出まかせ、ではあるものの
その頃の私にはよく冗談でも嘘、を上手に話せるなあ、と感激した。

でもその女子大生から『あっそうなの』で終わってしまった。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

夏のせいかしら(夏木 マリ)1974年 [1970年代の曲]

 41年も前になるのか、連日、暑い日が続いていた。
最近かなり暑いと言うのが40℃を超えたりする現況
今の子供には気の毒でもあるがあの頃もとても暑かった。

 暑い日と言うのは朝刊を配達するうえでわかった。
各人、配達する順はいったん遠方まで
自転車で行ってそこから戻って行くと言うのが多かった。

従って最初に全力で一番奥をめざし直線を走ることが多かった。
その時間、朝の4時過ぎ、暑くなる日は既に暑かった
4時過ぎと言うのにもう暑い。

ある暑い朝、配達から戻ると配達所の御嬢さんが
ある無料プール券を我々5人にくれた。

そして直行。プールでは意外な展開を体験する。
そのプールで夏木 マリ夏のせいかしらがなっていた事だが。
その頃こんなにアップテンポの曲はそうなかったと思う。

18歳の先輩がなんとビーチボール遊びを
知らない女の子とやろうと誘ってきた。
これはいわゆるナンパに成功した、と言うこと。

彼女らはビキニの5人、岡山からの大学生(単に出身地がそうだっただけかもしれない)。
最初、中学生の私はどうみてもガキで
その女の子らとはしゃべれそうになかった。
腰くらいまでの水深でのビーチボール遊び、何とか楽しんだ。

水泳客全体に休憩タイムが訪れた。
女の子たちからコパトーンを塗ってくれと言われ
私ともう一人の友だちは躊躇した。

その子が夏のせいかしらを歌いながらじっとしていた。
こちら2人は何の歌なのか知らなかった。

その子らに聞いたら『えっ?この歌知らないの?コパトーンも知らないって言う人初めて』
とびっくりされた。
夏のせいかしらイコールあのプールでの出来事を想い出す。

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽
前の10件 | 次の10件 1970年代の曲 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。