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コバルトの季節の中で (沢田研二)1976年 [1970年代の曲]

 一昨日、水曜日に台北から帰宅した。相変わらず台北は半袖でも生活できる。しかし夜中は寒く、この話はよく聞くかもしれないが台湾の家庭にはクーラーしかないと言っても過言ではない。

 滞在中に私が住んでいる(友達の一室を借りている)マンションでもクーラーしかなく寒い日は大変。 日本のような毛布も準備されていないため夜は少し寒かった。

 恒例でいつも帰国する前日は事務所の数人で食事とカラオケへ行く。 そこでは当然彼らは好きな歌を歌うわけだが、日本人の私がいるという事も有り、日本の歌を歌う人もいる。 それは日本語で歌う場合と中国語に訳されている歌とに分かれる。実に上手に日本語で歌うのはいつも感心する。 河合奈保子の『夏のヒロイン』を中国語で歌われて驚いた。
 
 ある一人の女子は『渚にまつわるエトセトラ』を日本語で上手に歌った。みんなで『カニ』のところは大合唱。 私は気を使ってテレサテンの時の流れに身をまかせをお返しに歌ったがだいたいはリクエストが来る。

 そこでうちの事務所メンバーだけではいつも来るのが、『コバルトの季節の中で』。『コバルトの季節の中で 』は高校生くらいの時に大ヒットしたが彼らはその頃に生まれている。

 なぜだかいつも『コバルトの季節の中で』を頼まれ下手ながら歌うけれど今回のコンサートドタキャン事件については彼らはどうして?どうして?だった。 聞かれても私もどうして?だけれど台湾ではそんなことは絶対にない、と言っていた。 まあ日本でも普通は無いけれど。

あらためて『コバルトの季節の中で』を調べてみたらなんと作曲が沢田研二。やはりジュリーは何かと凄い。

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ヤングマン YOUNG MAN (西城秀樹)1979年 [1970年代の曲]

 西城秀樹が亡くなった。まさか、の訃報。 

あれでほどのエネルギッシュで絶唱の歌手は居ない。

それでいて歌唱力も有りバラードを歌っても抜群だった。

西城秀樹の歌について私が大好きなのは
君よ抱かれて熱くなれ、https://www.youtube.com/watch?v=GHGiJ3eZx20
ヤングマンhttps://www.youtube.com/watch?v=_SOD0mDNmtE
バラの鎖 https://www.youtube.com/watch?v=IefMkhgznVQ

奇しくも13日の日曜日は8年ぶりの中学校の同窓会だった。
小学校、高校の同窓会は行われていないことが分かった。
私だけ呼ばれていないのかと思っていたがそうではなかたようだ。

その同窓会の二次会へは昔風のカラオケパブみたいな古臭い店へ行った。
半分以上が参加した。
団体客専用のような暗くて広い店内。

 強引そうな20人超える団体に対してめんどくさそうな店員。
金持っている2人が全額出すと言ってくれて貸し切りにしてもらった。 

もう60近い男女の集団、酒も入っており、
金持ち二人が注文を取りに来る店員を圧倒。

元気過ぎて若い店員は驚きの態度。
出てくる歌がすべてバブル期、女性は松田聖子、河合奈保子、柏原郁恵などなど、
男性はジュリー、西城秀樹、郷ひろみ、などなど。  

そして最も盛り上がったのは帰る前のラスト1曲、私の選曲、ヤングマンYOUNG MAN (Y.M.C.A.)。 
 
最後の最後の1曲で全員が熱唱となった。
びっくり、60近い男女が踊る踊るのY・M・C・A!

店員たちは驚き、あきれた、の顔。

夜11時頃、店を出た時のさわやかな気分は久しぶりだった。

その中でSさん、思いっきりの西城秀樹ファン。
未だ唯一の独身で若い頃シンガポールでのコンサートへも行った。

女性の中では今や関ジャニが大好きとか、孫の話が出たり、
息子娘が全然結婚しないとかいう話が多い中、

彼女だけは未だに熱烈な西城秀樹ファンで驚きだった。
先ほどYou Tubeで西城秀樹の歌を見ていたら彼女がコメントしていて驚いた。
しかも本名で。そしてお堅い勤務先で絶対に外部パソコンなぞ見れないのに
You Tubeにコメントと言うのは欠勤したようだ。

ご冥福をお祈りいたします。

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真夏の出来事 (平山三紀)1971年 [1970年代の曲]

 1970年代の若者は自分で何でもやろうとした時代が有ったように思う。

兄貴の友達でよく私の家に来ては兄貴と一緒に車いじりやレコードを聴いていたり
ばかなことを言ったりしていた友達(Aさん)がいた。

 Aさんは兄貴とはバイト先での先輩で明らかに兄貴よりは大人で
古い小さな中古車を持っていた。

そしてその車にはカーステレオがあり
聞かされたのが『真夏の出来事』だった。

ある夏の暑い日、Aさんは兄貴と弟の私を乗せて高校野球を見に(応援?)日生球場?だったのか、
大阪の予選の試合とドライブをしてくれた。

その車の中で『真夏の出来事』は実に快適な歌だった。
しかしクーラーがないので窓を開けてのドライブだった。

野球の試合は記憶ないが試合を見ながらも私は
『かれのくるまにのって・・・』とか口ずさんでいた。

一度聞いただけでいい歌だなあ、アメリカの歌か?覚えやすいなあ、とも思った。

それはそのはず1971年の歌で当時としてはテンポ良く、
その頃から急上昇されたヒットメーカーの筒美京平先生の作曲。

当時は筒美京平?って知らなかっただろう。 
我々小学生でもテレビやラジオでは聞いていた。
誰が歌っているのかまでは知らなかったかも。

仮に今の時代にこの様な曲が出ていたら(もちろん若者の人口も違った)間違いなくネット配信もトップでミリオンヒットになるだろう。

当時のあの頃のナンバー1、大ヒットソングだった。

 当時の青春時代を過ごされたその大学生だった団塊の世代、
では画期的な歌だったらしい。 

ドライブしながらこの歌を聞きたい、と言うのが夢だったとか、

この『真夏の出来事』を聞かせてくれたAさんは先月病気で亡くなった。
たまたま兄貴との会話で
私の近所の子供がこの春の高校野球、甲子園に出場する話をした。

その時にその流れかで昔、高校野球を見に連れて行ってくれたAさんの訃報を聞いたわけだが
1971年の大ヒット曲、真夏の出来事、
から47年も経った?しかしAさんは70歳前のはず、早い。。 

あの頃はオートバックスも無く自分で中古カーステレオや太い中古タイヤを
どこかで仕入れてきては兄貴とセッティングしていたころが懐かしい。

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有名コマーシャルソング。 ふりむかないで (ハニーナイツ) 1971年 [1970年代の曲]

 ゴールデンウィークにカラオケ仲間と最後に熱唱したこのふりむかないで、は
かなり有名なコマーシャルソングだった。 

この曲に関する細かい話をMさんから聞いた。 

なんとコマーシャルでは歌詞が5番目くらいまであったのかと思いきや
70番くらいまであったとそのカラオケハウスでは話された。

 Mさんは当時、大学生だった兄がそののちに出版社に勤務、
その兄から聞いた話との事。 

通常、3番くらいまでの歌詞とは思うが70番くらいまでとは
驚きをもって帰宅。

そして今回ブログに書こうと調べてみたら確かに70番くらいまであった。
正確には72番まであったことが分かった。ブログにも書かれている方が数人いらっしゃる。

http://papua.osakazine.net/e486929.html 

つまり72の街でこの歌詞が存在した。

泣いているのか、わらあっているのか、で始まるふりむかないで
はレコードでは最初は東京、2番は札幌、3番は仙台、4番は名古屋、
5番は大阪、6番は博多の人だったのかな。

というわけで非常に短い歌詞の中、このコマーシャルが懐かしい。
当時を知っている世代には誰もが耳にした曲であり有名なコマーシャルだった。

調べてみたら1970年からのコマーシャルだった。という事は約47年も前。

 そしてMさんがこの頃のコマーシャルに出ていた
黒髪の綺麗なお姉ちゃんも今ではほぼ全員70歳のおばあちゃんになってる。

 と言って笑っていた。 でも、そういう我々もそれなりの歳であり
なんとなく時代はどんどん過ぎていく現実を感じる今日この頃かと。

https://www.youtube.com/watch?v=7WExGp6s_00  
https://www.youtube.com/watch?v=t63_5c7zj4U

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誰もいない海 (トワ・エ・モア) 1970年 [1970年代の曲]

 今年の6月、我々のカラオケ仲間の一人が亡くなった。

 彼は病気入院中で時々、出てきてはカラオケを
一緒に楽しんだが毎度見るたびに痩せた顔つきになっていった。

 彼を一応MさんとしておくとMさんは定年退職するまでは
海外生活が長く、英語の歌でも外人さんの様に流ちょうに歌った。

 我々としてはビリージョエル、カーペンターズなど
彼が歌うと尊敬のまなざしとなった。

我々が知っている歌ばかりだったのでMさんが歌っているときは偽の英語で口ずさんだ。
とても英語の歌詞をMさんと一緒には歌えなかった。

Mさんが日本の歌を歌ったのはもちろん多かったが
先週、みんなで久しぶりに集まった時に
Mさんが昨年今頃この歌を歌っていたなあ、ということを想い出した。

誰もいない海、あらためてトワ・エ・モアの歌うこの歌を動画で聴いてみたら
何となく寂しい気持ちになる。

http://www.dailymotion.com/video/x1xqhbk_%E8%AA%B0%E3%82%82%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%84%E6%B5%B7-%E3%83%88%E3%83%AF-%E3%82%A8-%E3%83%A2%E3%82%A2_music

それはMさんを想い出すこともあるがこの歌のメロディ、歌詞共に現在、聴くことがめったにない曲調。

誰もいない海がリリースされた時、私は小学生だった。
その時ですら何となく寂しい気持ちになっていた。
いい曲だと思った。いろんな歌手が歌っていると初めて知った。

Mさんはアメリカのどこかの土地で海へ行った時に
橋があって(釣り堀?ヨットハーバー?)その橋の上で
日本が懐かしく歌った、と言っていた。

ピンとこない話だったがMさんが亡くなって俄然、
カラオケ仲間で注目曲となった。

今年の夏は終わり秋になった。
海へ行って、浜辺ででも誰もいない海を聴こうとするなら益々寂しい光景が浮かんできそう。

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さよならをするために (ビリー・バンバン)1972年 [1970年代の曲]

 年の離れた兄貴の大好きな歌でその当時、よくギターを片手に歌っていた。
先日、テレビでビリー・バンバンが出ていて思いだしたことがあった。
今聴くと詩がせつなく青春時代の歌だなあ、と思う。

 その当時私は小学生で、留守番で家の前で
弟とキャッチボールをしていたらあまり見た事が無い
兄貴の友人が自転車に乗ってやってきた。

 その人は腰の辺まで髪の毛が有り
当時、坊主頭だった私からすると気持ち悪かったが、
兄貴を含めその周辺の友人はみんな、ロングヘアー。

 そして、このさよならをするために、のレコードを兄貴に渡してほしいと
言うものだった。

そして『どこへ行った?』とか言われた。
どう返答したか覚えていない。

その当時は今でいうスマホなりが無かったので
そういう出来事が毎度のようにあったと思う。

 弟とキャッチボールをやめてそのさよならをするために、を聴こう、となった。 

兄貴の部屋にステレオが有ったのでそこで
使い方がわかる私がレコードをかけ2人仲良く聴いた。

一度聴いただけで良い曲だなあ、と思った。
そして他にも聴きたくなって数曲聴いてしまった。
  
そしてそのさよならをするために、はきちんとレコード収納の中にしまってしまった。
つまり何曲かを聴きずらりときれいに並べられている
シングルレコードのどこかに
そのさよならをするために、を混ぜてしまったわけで
まるでトランプの手品で引いた一枚を残りのトランプに
返した状態となった。

更にそのあと、野球をしようと友達が来て
そのまま弟と一緒に、留守番を放棄し出かけてしまった。

夕方かに帰宅し、すっかりさよならをするために
のレコードをロン毛、の人が持ってきたことを言うのを忘れてしまった。

 何とそのさよならをするために、の事がわかったのは
1週間ほどあとだった。

兄貴が『まさかおまえこれ買ったのか?』と言ってきて
そのあとに、
『おれも今日買ってしまったよ。おまえ、だれに買ってもらったんだ?』とか言う内容。
 そのあと、どうなったのか忘れてしまった。 来週、兄貴に聞いてみたい。 

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喝采 (ちあきなおみ)1972年  [1970年代の曲]

 歌手、ちあきなおみがテレビに出なくなって久しく、もうどうだろうか、
20歳台でも知らない人が大半かもしれない。

この日本レコード大賞曲、喝采が超大ヒットした昭和47年(だったらしい)は
もう、それは何回もテレビで見た。

そしてこの喝采のメロディや振り付けや一番の歌詞は覚えてしまった。

https://www.youtube.com/watch?v=WsAYvdcwYjU&nohtml5=False

 現在のテレビ番組以上に歌番組が多かった時代なので
歌番組を見ては喝采を見ることになった。
 
当時、我が家は子供からみたら幸せの絶頂だったように思う。
周りでは中学受験に向けて塾通いする友達が数人いたが
私の場合は学校からいったん帰れば近くの草ボーボーの原っぱで野球をした。

野球と言っても今思いだすと実にいい加減で
一塁ベースは草を抜いて根っこがどっさりついた物をいくつか集め
それをベースにしていた。

私より更に上の世代ではバットもグローブも自家製、という事もあったようだ。
兄貴の時代は実際にグローブを母親に作ってもらった友達もいたと聞いた。

 現在でも海外のある国など子供たちがサッカーボール一つあれば
100人でも遊べる、と言う状況にも似ている気もする。

その還暦間近の野球で遊んだ幼馴染の二人と先日、飲みに行き
その後このおっさん達三人でカラオケへ行った。

M君はフロントでの若者の多さに戸惑っていたが
ボックスに入ると、オールディーズのオンパレード。

 一人目のM君がなんと喝采を歌った。
三人で合唱になったが、歌詞をよく読みとると実に悲しくなってしまう。

喝采の歌詞にはある男性が死ぬ。

 我々おっさん三人は人が死ぬのにどうして喝采なのか?で
ちょっとした会話となった。
私が中の島ブルースを歌っている時に二人はその話に夢中。

もちろん結論は出ず、帰宅したら動画サイトでまた聴きたいと言う共通の意見で終わった。
でもM君だけは動画サイトの意味すら知らなかった。
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中の島ブルース(内山田洋とクール・ファイブ) 1975年 [1970年代の曲]

 31歳で古くからの幼馴染の友達が亡くなった。
彼は私の2歳年上であったが小学生の頃はもちろん
普通にふざけていた仲。

社会人になってから私が神奈川に行き彼は東京、という事で
東京駅で会うことになった。

時はバブルの絶頂だったのか彼が連れて行ってくれる店は
どこもかも満員で結局、高級なスナックにはほど遠い、
平均年齢がかなり高い熟女が接客してくれるスナックへ行った。

一見さんだった。

 そこでは偶然、自称『大阪出身』のママさんがいる店で
その他熟女が3人くらいいたか、
流行っていなかった。

そこで友達が歌った中の島ブルースが上手で
私は歌いにくくなった。私は聞き役になっていった。

https://www.youtube.com/watch?v=_8cfIuUESF0

友達は前川清のファンでその他何曲か歌った。

 70歳位?の熟女らも客はたったの二人で
かつ中の島ブルースが上手すぎて
その友達が歌い終わったら友達と私のまわりは
おばあちゃん、いや熟女のファンと化した。 

私は座っている間、その大阪出身と言うママさんの
なぜ、ここに流れ着いたのか・・・なる苦労話を聞かせれ、
どんどん酒を飲まされてしまった。

はっきり言ってどうでも良かった。

でもよくよく聞いてみるとイントネーションが少し違った。
 いま、ぼんやりとしか覚えていないが生まれはどこか大阪とは
違い何年か大阪に住んでいた、と言う感じだった。

どうでも良い事。

その時は友達もせっかく私を東京に呼んだのに
良い店が満員で悪いと思ったのか、
盛り上げ役として頑張ってくれたし、
私も楽しんでいるふりを、70歳くらいのママさんとしていた。

 くも膜下出血だったか、頭の病気で亡くなった。若すぎた。
彼の奥さんからの年賀状を見るたびに
一人娘の成長と中の島ブルースを想い出す。

中の島ブルース、この様な歌も無くなったなあ、と思う。大好きな歌。
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IT'S GOOD TO BE HOME AGAIN (ゴダイゴ)1976年 [1970年代の曲]

ゴダイゴと言えば銀河鉄道999、ガンダーラ、モンキー・マジック、
ビューティフル・ネームなどは
時々テレビ、ラジオでもお目にかかることが出来る。

少しマイナーではあるがIT'S GOOD TO BE HOME AGAIN
私はなぜか最も気に入ってる。
このIT'S GOOD TO BE HOME AGAINが入っているLPはまだ持っている。

この歌はゴダイゴの好きな歌の中でも未だに口ずさむことがある。
残念ながらラジオですら聴いた事が無い。

年末の実家でのちょっとした掃除で片づけてやっと発見。
1976年に買ったらしい。

ゴダイゴはタケカワユキヒデを中心としたグループで
テレビではその頃、日本人でありながら英語で歌っていたので
尊敬の念で見ていた。確かタケカワユキヒデは外国語大学出身で早くに結婚していた。

一度聴いてみたいと思いちょうど年末の掃除で見つけたが、
さがしながら動画サイトでも聴けることを思いだした。

しかし曲名がわからずあまり調べ方もわかっていないので
かつて聞いていたレコードを探したほうが早いと思った。

カセットでも見つけてはいたが曲名がわからず。

IT'S GOOD TO BE HOME AGAINはやわらかい
何とも言えないスローテンポでやさしいメロディで
何となくさみしさも感じるおそらく一度聴いただけでも印象に残るのではないか。

 歌詞の意味は分からないが外国人が歌っている様な気にさせられる。

https://www.youtube.com/watch?v=fcGwNd-Uxe4

先日の忘年会カラオケで英語で歌おうと前もって少し練習した。
しかしカラオケ店にはIT'S GOOD TO BE HOME AGAINが無く誠に残念だった。
やはりマイナー過ぎたと思われる。

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ストレンジャー(The Stranger)(ビリー・ジョエル)1978年 [1970年代の曲]

 たまたま先週、車で走っていたらラジオでビリージョエル
ストレンジャーを聴くことが出来た。
久しく聴いていないが初めて知ったことに
このストレンジャーはアメリカではシングル発売されていないとの事。
 意外だった。


当時、アメリカの大ヒット曲で当然オリコンとかのナンバー1の曲
だと思っていた。

ラジオでは年齢で幅広い人気の曲、と説明されていたが
そのはずでいくつかのCMで採用されている、と言っていた。

なるほど、そう言えばラジオで聴いたものの懐かしい、という気は
それほどしなかった。

1978年頃、このようなリズム、メロディの良い曲が多く
このストレンジャーもその頃の一曲。
ビリージョエルは他にも大ヒット曲が多く大好きなアーティスト。

現在もこうしてCMに採用されていることからもうかがえる。

あした、いつものカラオケ仲間とカラオケへ行く予定。
格安の店のためか客は中学生が圧倒的に多い。

その中で平均年齢60歳弱、お酒類持込みする
我々は異様な客かもしれない。

そこで一人だけ英語の歌が流暢に歌える友人がいる。
この人に先ほど、ストレンジャーのリクエストの電話をかけた。

彼はLINEしたいが使えない、メールもダメ。
この人、サラリーマン定年退職前は16年間、
アメリカはじめ海外生活の経験がある。

しかしアンバランスかもしれないが携帯電話でかける、受けるしかできない。
いつか、この人のアメリカ時代の話と想い出の歌にも記述してみたい。
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