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Get Along Together-愛を贈りたいから-(山根 康広)1993年 [1990年代の曲]

 ヒットしていた頃に大阪のミナミで飲んでいたらマスターが
『もうすぐ堺の子が結婚式のラブソングで全国へ行きよるで』
と言っていた。

 すると1年後くらいにGet Along Togetherが大ヒット。
その歌の事かなあ、と思っていた。

 それだけの話ではあるが確か山根康広は大阪の出身の歌手。
いまはどうしてるのかな?調べてみたらやはり健在。
 ライブで大活躍してる様子。

 この歌を亡くなった昔の職場の先輩のご自宅で
次女さんの結婚式披露宴のビデオで再び思い出した。

なんとGet Along Togetherは亡くなった先輩の18番、
つまり一番得意とする歌だったらしい。

それをこれまたなんと、新郎が披露宴で披露した。
もちろんそれは父親(私の先輩)を感動させる
新郎新婦の狙い、であった。

 若いころの顔で言うと亡き先輩の方がかっこ良いかな?
とか、上手な高音ボイス!とか思いながら
大画面テレビ画面を見ていた。
 
 亡き先輩と奥さん、娘さん2人とはよくカラオケに
行ったそうでそのたびに亡き先輩はGet Along Togetherを歌ったらしい。

そして次女は内緒で当時の彼にお父さんの
好きな歌としてGet Along Togetherを教えて、
結婚式披露宴でサプライズ、にしたらしい。

その時の亡き先輩は、びっくり仰天、でかなり喜んでいた様子
だったと次女さん。

 でも最も感動して涙していたのは新婦の次女さんだった。
 新郎が歌っている間に次女さん感動して泣いていた。
お父さんへのサプライズどころではなかったみたい。

それほどこのGet Along Togetherは結婚する2人は
ぴったりの歌であると思った。
  
 1993年の歌であるから今の若い人からすると
懐メロになるのだろうけど意外にも披露宴出席の友達も
知っていてお父さんの好きな歌だっただけに
感動の拍手で終わっっていた。

亡き母の好きな歌を聞いてネタにしようかと思ったが
長く話した割には聞くところまでは行けなかった。
ビデオが長すぎて少々疲れもあった。 
今の時代では豪華な披露宴で素晴らしい家族だったとわかった。 

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ロマンスの神様 (広瀬香美) 1993年 [1990年代の曲]

 この季節になるとこのロマンスの神様を何度か耳にする。
仕事上、車で走っているとラジオで何日かに一回は聞くし、また口ずさみやすい。
 もちろん広瀬香美の様な、超、高音では歌えないが
リズム、テンポ、ノリが非常によい曲だと思う。

 1993年の冬にリリースされ、
テレビコマーシャルで採用され一気に全国化したが
私は当時、酒の席ではあるレコード、CD製作会社の方から
面白い話を聞きそれが印象に残っている。

その人は音楽関連の仕事上、詳しく趣味はピアノで
奥さんも高校で音楽を教えている先生、まさに音楽一家の人だった。

 内容はだいたいこんな感じだった。

広瀬香美は小さいころから
音楽を一生懸命勉強して
音楽専門の大学を卒業してアメリカで更に
音楽を学び成長した。とかいう事だった。

そしてロマンスの神様がヒットしていたので
『おそらく君たちにはこの歌を歌えないだろう。
なぜなら広瀬香美は4オクターブも歌えるんだから』

とか言う話をされた。その時、オクターブと言う言葉を知ったし、
我々にはそのオクターブとか言うものの数値は
もっと低いものなんだろうとも思った。

確かにこのロマンスの神様は高音の域が半端ではないと思う。

昨晩はいつものカラオケ仲間とカラオケ忘年会で
ロマンスの神様、をリクエストした。

Fさんの奥さんが歌った。その時に出た話は
『スキーに行っていたこの頃に戻りたい。この歌想い出すね』だった。

でもこのロマンスの神様が流行っていた頃は既に奥さんは
45才くらいでスキーはもう引退状態だったし、
この記憶のあいまいさから『大丈夫?』と言う話題に変わった。


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愛が生まれた日(藤谷美和子・大内義昭) 1994年  [1990年代の曲]

 つくづく良い歌だったなあ、と思う。

私は結婚したものの仕事だけが一日、の状態になっていた。
夜は9時か10時頃ある程度仕事が終わったら
次は大阪はミナミ、や三宮へ飲みに出かけるという
パターンで家族の事はほったらかしだった。

私の職場では営業マンはみんながみんながそうで仕事でフラフラになり
また飲んで歌ってフラフラで帰宅する日が続いていた。

 その毎日の中で5月の連休に慰安旅行があった。
これは日程的にも不人気だった。

会社全体で行く慰安旅行がある年から各部署ごとで
行く事になり喜んでいたら
私の所属する営業部隊はなぜか、
なんと工場のおばさん達と行く事になった。

これは営業と工場との友好を深めるためであったが
営業担当の事務員(全員20歳台)は反対し、
我々の中でも工場出身の私は『おばさんたちの餌食(えじき)』になる
と考えられるため反対したが行く事になった。

他の部署は全て部署ごとに行ったし食事会だけで終わらす部署もあった。

 大型バスを貸し切った。60人乗りに40人程度。
隙間だらけの車内、我々男性営業マンは
おばさん30人の接待係。
女子は関わりたくないから無視状態。
上司は工場上司と楽しんでいた。

 行き先は岡山の倉敷方面、その夜は大宴会場でカラオケ大会。
これも『我が強い』ボスおばさんとデュエット、
まさに地獄の始まりだった。

愛が生まれた日、はリアルタイムでヒットしている季節の中で
3人のおばさんと歌わされた。
愛が生まれた日を歌った後は
ほっぺたにチューをされ不快な思いと
これだけで終わってほしいと言う気持ちだった。

歌の途中で『私の顔を見なさい!』と言う強引に両手で顔を引き付けられ
上司や同僚や工場の従業員の観客達には大受けだった。

もちろん、多量のビールは飲まされた。

翌日、出社しても数日間はあちこちで
『愛が生まれたらしいな』との話をかけられた。
とんでもない、出来事で覚えている。

なんと先日、大内義昭さんが亡くなったとは
。作曲か作詞が秋元 康藤谷美和子はかわいかった。

その一緒に歌った従業員のおばさんの一人はみよこ、という名前。
もうどうでもよいが旧姓が藤田さんらしく、まあまあ似ている名前。しかし・・・・だった。

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渡良瀬橋 (森高千里)1993年 [1990年代の曲]

渡良瀬橋 (森高千里)

もう21年も前の曲,その当時初めて聴いたとき、
なにかしら暖かさと懐かしさを感じた。

そしていま聴いてみると更に自分の住んだ町ではないのに
その光景を感じ取ることができる。

 先日、いつものカラオケ仲間プラス3人の大所帯で楽しんだ。
いつもの仲間の平均年齢は58歳位。
しかしそのプラス3人は30歳位で仲間の娘(どうでもいいが全員独身)。
そこで娘の一人が渡良瀬橋を歌って皆で小さい声ながら合唱となった。

当時、私は社会人としてはそれなりの年になっていたが
接待で会社の経費で飲みに行くことが多かった。

その頃、渡良瀬橋を歌うのが上手な、(なんでも歌の上手な)女の子がいるスナックがあった。
我々はその店へ行っては、その子にいつもリクエストするのが渡良瀬橋だった。特に親しくはしていなかった。
その娘の素性はその時も聞く事もなく
単に渡良瀬橋を聴きたいがために行っていた。

詩は森高千里が作っていたという事を
ブログを書くにあたって知った。

あれっ?森高千里って熊本県出身では?
いかにも渡良瀬橋を想い出として(作詞家が誰だかわからないが)
書かれた歌だと思っていた。この辺もさすがだと思う。

 この様にいまあらためて聴いてみると
何とも言えないほんのりとした気持ちになる。
スローテンポな歌だけど何度も聴いてみたくなる。

そして松浦亜弥が歌っている渡良瀬橋も良い。
Youtubeを見たら他にもいろんな歌手が歌っているのに驚く。

でももう一度仲間の娘さんの渡良瀬橋を聴いてみたい。
しかし彼女らは帰りの支払いの所で

『やっぱり歌を合わせなければいけないのはしんどいな』と
話し合っていたので次回の渡良瀬橋は熟女を卒業する仲間の歌声になるだろう。

タグ:渡良瀬橋
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Pieces (ラルク・アン・シエル) 1999年・おなじ星(ジャングル スマイル))1998年 [1990年代の曲]

Pieces(L'Arc-en-Ciel) (ラルク・アン・シエル) おなじ星(Jungle Smile)(ジャングル スマイル)

 二曲とも大阪の新世界で串カツを食べていた時に有線のBGMでなっていた。

 そしてラルクアンシエルというバンドのPiecesという曲を
この時初めて聴いたのだがこのやわらかい感じのバラードを
猛烈にもう一度聴きたくなった。

同席の友人と、この歌良いという話をしていたら、
お尋ねもしていないのにカウンターの向こうの料理人のお兄ちゃんが
『この子ら大阪の子やで』とどうでもよいのだがしゃべってきた。

 私たちはその時Piecesという曲名でラルクアンシエルと言うバンド名を『教わった。』

 さっそくCDを購入したら家族からは『どうして?』と言う顔をされたのを想い出す。
社内でも若い社員らはこの曲は良い、好きだという声が
高かったが、CD貸してあげようか?とは言い出せなかった。

 Jungle Smileおなじ星はこの店で一度聴いただけだったが
何となく口ずさむことができ、のちに曲名など確認できた。

この頃聴いていたがそれ以来聴いていない。
歌詞が物語の様になっていてテンポも良く盛り上がるところは
盛り上がりカラオケでも歌われていたのではないだろうか。

勝手な想像だがもしこの二曲を初めて聴いたとして
もう一度聴きたくなる人が多いのではないか?と思ってしまうほど好きな曲だ。

ただ、残念なのは私はこの2つのバンド(グループ)の他の曲を知らない。
知りたくて子供に聞いてみたがもうこの二曲ですら知らない世代だったのか
わからずじまいになっている。

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