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愛が生まれた日(藤谷美和子・大内義昭) 1994年  [1990年代の曲]

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 つくづく良い歌だったなあ、と思う。

私は結婚したものの仕事だけが一日、の状態になっていた。
夜は9時か10時頃ある程度仕事が終わったら
次は大阪はミナミ、や三宮へ飲みに出かけるという
パターンで家族の事はほったらかしだった。

私の職場では営業マンはみんながみんながそうで仕事でフラフラになり
また飲んで歌ってフラフラで帰宅する日が続いていた。

 その毎日の中で5月の連休に慰安旅行があった。
これは日程的にも不人気だった。

会社全体で行く慰安旅行がある年から各部署ごとで
行く事になり喜んでいたら
私の所属する営業部隊はなぜか、
なんと工場のおばさん達と行く事になった。

これは営業と工場との友好を深めるためであったが
営業担当の事務員(全員20歳台)は反対し、
我々の中でも工場出身の私は『おばさんたちの餌食(えじき)』になる
と考えられるため反対したが行く事になった。

他の部署は全て部署ごとに行ったし食事会だけで終わらす部署もあった。

 大型バスを貸し切った。60人乗りに40人程度。
隙間だらけの車内、我々男性営業マンは
おばさん30人の接待係。
女子は関わりたくないから無視状態。
上司は工場上司と楽しんでいた。

 行き先は岡山の倉敷方面、その夜は大宴会場でカラオケ大会。
これも『我が強い』ボスおばさんとデュエット、
まさに地獄の始まりだった。

愛が生まれた日、はリアルタイムでヒットしている季節の中で
3人のおばさんと歌わされた。
愛が生まれた日を歌った後は
ほっぺたにチューをされ不快な思いと
これだけで終わってほしいと言う気持ちだった。

歌の途中で『私の顔を見なさい!』と言う強引に両手で顔を引き付けられ
上司や同僚や工場の従業員の観客達には大受けだった。

もちろん、多量のビールは飲まされた。

翌日、出社しても数日間はあちこちで
『愛が生まれたらしいな』との話をかけられた。
とんでもない、出来事で覚えている。

なんと先日、大内義昭さんが亡くなったとは
。作曲か作詞が秋元 康藤谷美和子はかわいかった。

その一緒に歌った従業員のおばさんの一人はみよこ、という名前。
もうどうでもよいが旧姓が藤田さんらしく、まあまあ似ている名前。しかし・・・・だった。



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