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空に星があるように(荒木一郎)1966年 [1960年代の曲]

 新年会カラオケ会を1月27日の土曜日に行った。
これはいつもの『初老会』と名前を変えた方が良いのではと思えるほど
更けてきた近所の55歳から70歳近くの男女の集まり。

 昨年は皆さん、入退院が多くあまり集まらなかったが
今年はまた、元気に復活することにしようと
正月明けに召集がかかったが
これまた孫が来るとか娘が出産とかで集まれず結局、27日開催となった。

 おととしにカラオケ仲間の一人(Mさん)が若くして亡くなった。
どうもみんな、Mさんの話になってしまう。
そしてこの日は新年早々、亡くなったMさん追悼カラオケとなってしまった。

 1曲目こそ私が勝手にシンドバッドで元気よくスタートしたが
2曲目は『誰もいない海』、から一気にトーンが下がる、
『恋人よ』、『いいじゃないの幸せならば』、『イムジン河』・・・。

拍手をしながら、タンバリンをたたきながら、の歌がなかなか出てこない。

 8人が終わり二回り目の一曲、私は『ヤングマン』と決めていたが
直前に、Oさんから『空に星があるように』のリクエストが出た。

私が歌えない、と言ったらMさんが歌える、との立候補が出たために
順番を抜かされることになった。

空に星があるように』は荒木一郎の作詞作曲ではあるが、
動画サイトでは伊東ゆかり、も良い。

渋い歌で今聞くと大人の歌、と言う気がする。
こういった歌が最近無い、と言う会話が全員から。

なんと、Fさんがもう一回、熱唱した。

続いてMIさんも『空に星があるように

もう勘弁してくれ!、と思ったが、いい曲だなあ、と思った。

 海外生活が長かった亡くなったMさんが歌った歌の連打、
となったがあれほどMさんが歌った
アメリカのビージーズ、ビリージョエルとか
スティービーワンダー、ビートルズ、シカゴなど誰一人として歌わなかった。

と言うより歌えなかった。 やはり英語恐怖症のメンバーばかりか。

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想い出の赤いヤッケ、悲しくてやりきれない  [1960年代の曲]

想い出の赤いヤッケ(高石ともやザ・ナターシャー・セブン)

 昨年、兄貴の友人が亡くなっていた。
その人は私が小学生の低学年の頃、たびたび我が家に来た。

ギターを弾くのが上手でまた、人に歌わせるのが得意な人だった。
私はかわいがってもらった。 
いっぱい歌わされたので想い出があるが、
不意にこの2曲が脳裏に浮かんできた。

 この季節、年賀状を出そうとしてその準備にかかる。
昨年もらった年賀状を見ては知人らの家族の変化について知ることが多い。

先日、兄貴の自宅へ行った。
その時にたまたまこたつの上に兄貴も同じ様に
年賀状の整理をしていたのか5センチくらいの高さに積んで置いてあった。
そこでその悲報を見てしまった。

我が家に来るときはいつもギターを持参された気がする。
想い出の赤いヤッケは、楽譜も見ずに弾いていたが
こちらから弾いてほしいと頼んだ気もする。

 たぶん今の小学生ならこんなスローなテンポの曲は
好まないかもしれないなあ。 

その数年後私はスキーが大好きになっていくが
その頃のゲレンデは松田聖子とユーミンがなっていて
リフトを上がって行く間、口ずさんだものだ。 

想い出の赤いヤッケはどんな時に聞いたのだろうか。
当時、兄貴のその友達は私にこの歌を聞くとスキーに行きたくなるやろ?と
言っていたが私が行く世代になって思うとちょっと雰囲気が違った。

やはり時代時代にマッチした歌が変わっていくのだろうか
。いま想い出の赤いヤッケを聴くと妙に懐かしい気がする。

悲しくてやりきれない(ザ・フォーク・クルセダーズ)
もう一曲の悲しくてやりきれないもよく聴いた。
その人は何度も弾いていたのか楽譜も見ずにいろんな曲を弾いては歌っていた。

当時、我が家は狭かったので家にいたらその人に
歌わされるので私は外へ遊びに行ったものだ。

 5年くらい前に会った時びっくりするくらいおじいちゃんになっていた。
(こちらもそれに近いか・・・)ほとんどしゃべることはなかったが
最近はギターを弾く若い人は激減していると聞く。時代の流れか。

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