空よ、誰もいない海、愛の泉、虹と雪のバラード (トワ・エ・モワ) [1970年代の曲]
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空よ、誰もいない海、愛の泉、虹と雪のバラード
どれもこれも今聴くと懐かしい。いろいろと思いだす。
1972年の札幌オリンピック。
授業と授業の間の休憩時間で男子生徒の誰かが勝手にオリンピックのジャンプが
やってるかもしれないと言って当時白黒テレビをつけた。
みんなでジャンプ競技を見た。
やはり自宅で当時はテレビを見るのがかなりの楽しみだった。
学校の教室で見るには抵抗があった。まじめな女子から反対意見が聞こえた。
その日、早速、その女子生徒が当時怖い担任の先生に告げ口を言いに行った。
しかし女子生徒の情報にも大目に見てくれた想い出がある。
そして、アイスホッケーの初戦で日本が『優勝候補のチェコ相手に8点か9点までに抑えました!』と
テレビのアナウンサーが言っていたのを覚えている。
しかし我々はそんなに点を取られて何を喜んでいるのか、と話をしていた。
実際にはチェコが何位か忘れたがメダルを獲得したのも覚えている。
テレビで虹と雪のバラードを歌うトワ・エ・モワを何度も見た。
またバイアスロンのリレーで一人目が1位で戻ってきたときは
テレビの前で大喜び、
テレビでも奇跡的に1位で戻ってきたようなことを言っていた。
その後どんどん抜かされていったが・・・。
子供の頃のところどころの記憶と言うのは面白い。
虹と雪のバラードを聴くと家族全員で熱狂的に見た想い出が
蘇り泣けてくる。まあ、家族全員が居た時の幸せな頃の想い出・・・。
空よ、誰もいない海、愛の泉は何と音楽の時間に先生が歌われ、
みんなも一緒に歌った。
音楽は女の先生だった。
当時歌謡曲を授業に使う先生なんていたのかどうか。
或る日突然、空よ、誰もいない海は今でも時々だがラジオで聞く事があると小学生の頃を想い出す。良い歌、でも何故なのか聴くと寂しくなる。
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空よ、誰もいない海、愛の泉、虹と雪のバラード
どれもこれも今聴くと懐かしい。いろいろと思いだす。
1972年の札幌オリンピック。
授業と授業の間の休憩時間で男子生徒の誰かが勝手にオリンピックのジャンプが
やってるかもしれないと言って当時白黒テレビをつけた。
みんなでジャンプ競技を見た。
やはり自宅で当時はテレビを見るのがかなりの楽しみだった。
学校の教室で見るには抵抗があった。まじめな女子から反対意見が聞こえた。
その日、早速、その女子生徒が当時怖い担任の先生に告げ口を言いに行った。
しかし女子生徒の情報にも大目に見てくれた想い出がある。
そして、アイスホッケーの初戦で日本が『優勝候補のチェコ相手に8点か9点までに抑えました!』と
テレビのアナウンサーが言っていたのを覚えている。
しかし我々はそんなに点を取られて何を喜んでいるのか、と話をしていた。
実際にはチェコが何位か忘れたがメダルを獲得したのも覚えている。
テレビで虹と雪のバラードを歌うトワ・エ・モワを何度も見た。
またバイアスロンのリレーで一人目が1位で戻ってきたときは
テレビの前で大喜び、
テレビでも奇跡的に1位で戻ってきたようなことを言っていた。
その後どんどん抜かされていったが・・・。
子供の頃のところどころの記憶と言うのは面白い。
虹と雪のバラードを聴くと家族全員で熱狂的に見た想い出が
蘇り泣けてくる。まあ、家族全員が居た時の幸せな頃の想い出・・・。
空よ、誰もいない海、愛の泉は何と音楽の時間に先生が歌われ、
みんなも一緒に歌った。
音楽は女の先生だった。
当時歌謡曲を授業に使う先生なんていたのかどうか。
或る日突然、空よ、誰もいない海は今でも時々だがラジオで聞く事があると小学生の頃を想い出す。良い歌、でも何故なのか聴くと寂しくなる。
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